漢詩と中国文化
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河廣:我が子を思う(詩経国風:衛風)



  誰謂河廣  誰か謂ふ河廣しと
  一葦杭之  一葦もて之を杭(わた)らん
  誰謂宋遠  誰か謂ふ宋遠しと
  跂予望之  跂(つまだ)って予(われ)之を望まん

  誰謂河廣  誰か謂ふ河廣しと
  曾不容刀  曾(すなは)ち刀を容れず
  誰謂宋遠  誰か謂ふ宋遠しと
  曾不崇朝  曾ち朝を崇(お)へず

誰がいうのでしょう、黄河の河が広すぎて渡れないと、一束の葦で舟をこしらえたなら渡ることもできましょうに、誰が言うのでしょう、宋の国は遠すぎると、足をつま立てれば望むこともできましょうに

誰がいうのでしょう、黄河の河が広すぎて渡れないと、小舟を容れるほどの広さもないと思われましょうに、誰が言うのでしょう、宋の国は遠すぎると、そこまでいくのは朝飯前と思われましょうに


宋の桓公の妻は衛の女であったが、故あって離縁され、子どもと離れ離れにされて衛に戻った。この詩は、その女が宋に残してきた子どもを偲んで歌ったものだとされている。

二節目にある刀は文字通りの刀のことではなく、小舟をさすというのが通説である。もっとも、刀を入れるほどの幅もないと解釈できないでもない。






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