漢詩と中国文化 |
HOME|ブログ本館|東京を描く|水彩画|陶淵明|英文学|仏文学|西洋哲学 | 万葉集|プロフィール|BSS |
梁園吟:李白 |
李白の雑言古詩「梁園吟」(壺齋散人注) 我浮黄河去京闕 我黄河に浮かんで京闕を去り 挂席欲進波連山 席(むしろ)を挂けて進まんと欲すれば波山を連ぬ 天長水闊厭遠渉 天は長く水は闊くして遠渉に厭き 訪古始及平臺間 古を訪うて始めて及ぶ平臺の間 平臺爲客憂思多 平臺に客と爲りて憂思多く 對酒遂作梁園歌 酒に對して遂に作る梁園の歌 却憶蓬池阮公詠 却って憶ふ蓬池の阮公の詠 因吟緑水揚洪波 因って吟ず緑水洪波を揚ぐるを 洪波浩蕩迷舊國 洪波 浩蕩 舊國に迷ひ 路遠西歸安可得 路遠くして西歸安んぞ得る可けんや 人生達命豈暇愁 人生命に達すれば豈に愁ふるに暇あらん 且飲美酒登高樓 且らく美酒を飲まん高樓に登りて 黄河の水に浮かんで長安を去り、船に帆をかけて進んでいけば波には山脈の影が映る、天は果てしなく川は広く長旅にうんざりしながら、昔の跡をたずねて平臺までやってきた 平臺に客となって憂思が多く、ついにその思いを託して梁園の歌を作った、つけても思い出されるのはかの阮籍の歌、そこでその一節「?水揚洪波」を吟ずるのだ 大波が伸び拡がるこの古い地にさ迷い、長安までの道のりははるか遠くなっていつ帰れるともしれぬ、だが人生も終わり近くになり嘆いている暇はない、しばらく高楼に登って酒でも飲むとしよう 平頭奴子搖大扇 平頭の奴子大扇を搖るがし 五月不熱疑清秋 五月も熱からず清秋かと疑ふ 玉盤楊梅爲君設 玉盤の楊梅 君が爲に設け 呉鹽如花皎白雪 呉鹽は花の如く白雪よりも皎し 持鹽把酒但飲之 鹽を持ち酒を把って但だ之を飲まん 莫學夷齊事高潔 學ぶ莫かれ夷齊の高潔を事とするを 昔人豪貴信陵君 昔人豪貴とす信陵君 今人耕種信陵墳 今人耕種す信陵の墳 荒城虚照碧山月 荒城虚しく照らす碧山の月 古木盡入蒼梧雲 古木盡(ことごと)く入る蒼梧の雲 粱王宮闕今安在 粱王の宮闕今安くにか在る 枚馬先歸不相待 枚馬先づ歸って相ひ待たず 平頭の下僕が大扇を扇げば、五月にもかかわらず秋かと感ずる、玉盤の楊梅は君のために設けたもの、呉の塩は雪よりも白い、 塩をなめながら杯の酒を飲もう、伯夷・叔齊の真似をして高潔ぶりをするのはやめよう、昔の人が豪貴とした信陵君も、今はその墓が畑となって耕されているではないか 荒城を空しく照らしているのは碧山の月、古木を覆っているのは蒼梧の雲、粱王の宮殿はいまや跡形もなく、枚乗・司馬相如もあいついで死んでしまった 舞影歌聲散穀r 舞影 歌聲 穀rに散じ 空餘弁水東流海 空しく餘す弁水の東にかた海に流るるを 沈吟此事涙滿衣 此の事を沈吟して涙衣に滿つ 黄金買醉未能歸 黄金もて醉を買ひ未だ歸る能はず 連呼五白行六博 五白を連呼し六博を行ひ 分曹賭酒酣馳輝 曹を分かち酒を賭して馳輝に酣(ゑ)ふ 酣馳輝 馳輝に酣ひて 歌且謠 歌ひ且つ謠へば 意方遠 意 方に遠し 東山高臥時起來 東山に高臥して時に起ち來る 欲濟蒼生未應晩 蒼生を濟はんと欲すること未だ應に晩からざるべし 舞姫の舞いも歌声も穀rに消え去り、今はただ?水が空しく東に流れていくだけ、このことを思うと涙があふれて衣をぬらす、金をはたいて飲み続け、帰るのはやめよう 五白の掛け声を連呼し六博の博打を楽しみ、二手に分かれて酒を賭け馳せ行くときの間に酔う、時の間に酔い、歌いかつ謡えば、心ははるかかなたにさまよい出る しばらく東山に臥せて時がきたら立ち上がろう、世の民を救おうとするこの気概はまだまだ捨てたものではない 李白は長安を追放されるや、船に乗って黄河を下り、東へと向かった。その途次洛陽で杜甫と出会ったのは有名な話だ。その後二人は行動を共にして、更に黄河を下っていった。 この詩は洛陽の下流、開封近くにある梁園に立ち寄った際の作。梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだ。李白はそうした史実を引用しながら、過去の栄華と今日の歓楽、そして未来への思いを重層的に歌い上げている。 詩の中に出てくる君が誰をさしているのかは定かでないが、杜甫である可能性は高い。李白はその男と酒を酌み交わしながら、長安への後髪引かれる思いを吐露しつつ、機会があったらもう一旗あげようとする抱負を歌いこんでいる。 |
前へ|HOME|李白|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2009 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |