漢詩と中国文化 |
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登賞心亭:陸游を読む |
淳熙五年(1178年、54歳)、陸游は皇帝孝宗の命によって臨安に召喚される。陸游はそれを、政務への登用の機会ととらえたが、孝宗の本意はそうではなかった。孝宗は詩人としての陸游の才を愛でて、直に話し合いたいと願って、陸游を呼び寄せたのである。これは「召対」といって、天使が親しく臣民と向き合う特別な機会なのである。 孝宗は皇帝としては珍しく教養があったようで、日頃から文学に親しんでいたらしい。特に蘇東坡を愛したと言われている。そんな折に陸游の詩集が出版され、それを読む機会があったのだろう。それに、蜀における陸游と范成大との間でやりとりされた詩の応酬が世間の話題となっていて、それを聞いた孝宗がますます陸游に会ってみたいという気になったとしても不思議ではない。 ともあれ、この召喚を受けて、陸游は6年ぶりに蜀の地を離れ、都である臨安をめざすことになった。その船旅の途中、船が南京城に差し掛かった時に、陸游は一篇の詩を詠んだ。「登賞心亭」である。 陸游の七言律詩「賞心亭に登る」(壺齋散人注) 蜀棧秦關歲月逎 蜀棧 秦關 歲月逎(はや)し 今年乘興卻東遊 今年 興に乘じて 卻って東遊す 全家穩下黃牛峽 全家 穩やかに下る 黃牛峽 半醉來尋白鷺洲 半醉 來り尋ぬ 白鷺洲 黯黯江雲瓜步雨 黯黯たる江雲 瓜步の雨 蕭蕭木葉石城秋 蕭蕭たる木葉 石城の秋 孤城老抱憂時意 孤城 老いて抱く 憂時の意 欲請遷都淚已流 遷都を請はんと欲して 淚已に流る 蜀の棧道や秦關での歳月は早くも過ぎ去っていった、今年は意を決して東へ向かって進むこととした、一家をあげて穏やかに長江をくだって黃牛峽の早瀬を過ぎ、半ば酔いながら訪ねたのは白鷺洲(卻:今までとは違って、心あらたに、黃牛峽:長江流域、湖北省にある名高い早瀬、白鷺洲:南京の西南にある長江の中州) 長江の上には黒々とした雲が垂れ込め瓜步のあたりは雨だ、木の葉が蕭蕭と舞い散ってここ石城は秋だ、この孤立した城にいる私は老いてなお国を憂うる気持ちを抱いている、天子には是非ここに遷都して欲しいと思いつつ自然と涙が流れるのだ(瓜步:南京付近の地名、石城:南京付近に聳える石頭山のこと、遷都:臨安から南京への遷都をさす) 臨安から南京への遷都は陸游の持論であった。南京は金との境界線に近い。ここを拠点にして金への反攻に備えよというのが陸游の主張だったわけである。 |
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