漢詩と中国文化 |
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東欄梨花(人生看得幾清明)蘇軾 |
熙寧十年(1077)蘇軾は密州から徐州の知事に転じた。徐州は江蘇省北部の交通の要衝であり、大都会であった。この地に蘇軾はわずか2年間在職したにすぎなかったが、行政官僚として洪水対策などで功績をあげたほか、詩人としての名声も飛躍的に高まった。そうした名声の高まりが、新法派の猜疑心を強め、やがて失脚へとつながっていく。 この詩は徐州への転任直後に、後任の密州知事孔宗翰へあてて書いたものだ。 蘇軾の七言絶句「東欄の梨花」(壺齋散人注) 梨花淡白柳深青 梨花淡白にして柳深青 柳絮飛時花滿城 柳絮飛ぶ時 花城に滿つ 惆悵東欄一株雪 惆悵す東欄一株の雪 人生看得幾清明 人生看得るは幾清明 梨の花は淡い白、柳は深い青、その柳の花が飛ぶとき城内は梨の花でいっぱいになる、ところが自分は悲しい気分を抱きながら東の欄干に雪のような花を見る、これを見ることができるのははたしてどれくらいの年月なのかと思いながら |
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