漢詩と中国文化
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水調歌頭:蘇軾の詞



熙寧七年(一〇七四)杭州での任期が終わった蘇軾は自ら志願して密州の知事になった。密州は現在の青島のあたりだが、同じ山東の済南に弟の蘇轍が書記として仕えていた。

杭州と異なって密州は貧しい地方であったという。加えて官吏としての蘇軾の生活も杭州時代より質素なものにならざるを得なかった。それは土地の豊かさの違いというよりは、新法による人民の生活の窮迫が、蘇軾のような実直な官吏にも及んできたということを意味していた。

そんなところから、蘇軾は次第に政府の施策を批判する詩を書くようになる。それがやがて、対立派による罪状のでっち上げと、投獄、流罪へとつながっていく。

だが詩人としては、蘇軾はこの時期を飛躍のきっかけとした。杭州時代よりも内省的で緻密な雰囲気の詩を作れるようになり、偉大な詩人へと脱皮しつつあったと評価できる。

密州時代を代表する作品は、中秋の名月を歌った詞「水調歌頭」である。

  明月幾時有   明月幾時よりか有る
  把酒問青天   酒を把って青天に問ふ
  不知天上宮闕  知らず天上の宮闕
  今夕是何年   今夕は是何れの年ぞ
  我欲乘風歸去  我風に乘って歸り去らんと欲す
  又恐瓊樓玉宇  又恐る瓊樓の玉宇
  高處不勝寒   高き處寒さに勝へざらんことを
  起舞弄清影   起舞して清影を弄ぶ
  何似在人間   何ぞ似たる人間に在るに

明月よ、いつから空にかかっているのか、盃を手にしながらこう青天に問う、天井の宮殿では、今宵は何年の中秋にあたるのだろうか

自分も風に乗って天上の世界に行ってみたいが、月宮殿は高いところにあるから、寒くてかなわんだろう、せいぜい地上の舞を楽しもう、やはり人の世の方が居心地がよい

  轉朱閣     朱閣に轉じ 
  低綺戸     綺戸に低(た)れ
  照無眠     無眠を照らす
  不應有恨    應に恨み有るべからざるに
  何事長向別時圓 何事ぞ長へに別時に向って圓なる

朱色の高殿をめぐり、綾ぎぬの帳をかすめ、眠らぬ人を照らしている、別に恨みのあろうはずもないのに、何故別れの時に限って満月になるのだ

  人有悲歡離合  人に悲歡離合有り
  月有陰晴圓缺  月に陰晴圓缺有り
  此事古難全   此の事古より全くなり難し
  但願人長久   但だ願はくは人長久に
  千里共嬋娟   千里 嬋娟を共にせんことを

人には悲歡離合があり、月には陰晴圓缺がある、古からこのことを完全な形に保つのは難しい、ただ人がとこしえに、千里の距離を離れていても、この月の輝きを共に明ことを願うのみだ


この作品はいまでも、中秋の名月を歌ったものとしては最高の作品という評価が定着している。蘇軾はこれを「詞」の形式を用いて作った。

「詞」とは歌謡の一種で、旋律に合わせて歌うために作られたものだ。蘇軾の時代この形式の「詞」が大いに流行していて、蘇軾も多くの作品を書いている。






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