漢詩と中国文化
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宿楓橋:陸游を読む


乾道五年(1169)十二月に夔州(四川省東部)通判に任命された陸游は、翌乾道六年閏五月に郷里の紹興を立ち、同年十月に夔州に到着した。その時の旅の様子を、陸游は「入蜀記」と題する紀行文に残した。中国の紀行文学の傑作と言われるものである。

さて、陸游は閏五月十八日に紹興を船出し、二十日に都臨安(杭州)に到着し、そこに十日ほど滞在した後、六月十日に平江(蘇州)に到着した。その時に詠んだ詩が「宿楓橋」である。

楓橋に宿る

  七年不到楓橋寺  七年到らず 楓橋の寺
  客枕依然半夜鐘  客枕依然たり 半夜の鐘
  風月未須輕感慨  風月未だ須ひず 輕がるしく感慨するを
  巴山此去尚千重  巴山 此を去って尚ほ千重

楓橋の寺(寒山寺)に来るのは七年ぶりだ、旅の枕にはあの半夜の鐘が依然として聞こえて来る、だが風月を軽々しく慨嘆してはいられない、巴山はここより千重の山を隔てたはるか彼方なのだから


楓橋は、唐の詩人張継の「楓橋夜泊」で有名なところである。また、陸游自身もかつて訪れたこともあったようだ。詩の中で七年ぶりといっているところからして、紹興から鎮江府に赴任する途中訪れたのかもしれない。

陸游は、旅情に耽りながらも、これからの旅を思って気を引き締めている。任地の夔州は遥か彼方の巴山、つまり蜀(四川省)にある。そこまでの道のりを思えば、旅情にふけっている場合ではない、というわけだろう。






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