漢詩と中国文化
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新夏感事:陸游を読む


紹興二五年(1155)和平派の宰相秦檜が死ぬ。それをきっかけに高宗の親政が強まり、様々な意見が徴せられるという噂が広がった。その噂をきいた陸游は、自分らの意見が用いられ、やがては金に勝って失われた領土を回復できるかもしれないと、希望を抱いた。実際、陸游は時代の波に乗るようにして、紹興二八年には出仕できることとなる。

紹興二六年の作品「新夏感事」は、そんな時代の移り変わりに対して陸游が抱いた希望を歌ったものである。


新夏、事に感ず(壺齋散人注)

  百花過盡緑陰成  百花 過ぎ盡して緑陰成り
  漠漠炉香睡晩晴  漠漠たる炉香 晩晴に睡る
  病起兼旬疎把酒  病より起きて 兼旬 酒を把ること疎に
  山深四月始聞鶯  山深うして 四月 始めて鶯を聞く
  近伝下詔通言路  近ごろ伝ふ 詔を下して言路を通ずと
  已卜余年見太平  已に卜す 余年太平を見んことを
  聖主不忘初政美  聖主 忘れず 初政の美
  小儒唯有涕縦横  小儒 唯 涕の縦横たる有り

花の季節が去って新緑がまぶしい頃合いになった、あてどなく香炉を燻らして晩晴に眠る、病気が治ってからもう数十日も酒を飲んでいない、この山奥では四月になって初めて鶯の鳴き声を聞いた(兼旬:旬は一〇日間、兼は複数をさす、数十日)

近頃聞いたところでは天子が詔を下して言論が通じるようになったということだ、占いにも生きている間に平和が訪れるとある、聖主は初心を忘れてはいらっしゃらなかった、わたしはそのことがうれしくて涙が止まらないのだ(小儒は自分自身を指す賤称)






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