漢詩と中国文化
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赤穀:杜甫を読む



杜甫の五言古詩「赤穀」(壺齋散人注)

  天寒霜雪繁  天寒くして霜雪繁し
  遊子有所之  遊子之く所有り
  豈但歳月暮  豈に但に歳月の暮るるのみならんや
  重來未有期  重ねて來ること未だ期有らず
  晨發赤穀亭  晨に赤穀の亭を發す
  險艱方自茲  險艱方に茲よりす
  亂石無改轍  亂石 轍を改むるなく
  我車已載脂  我が車已に脂を載せり

厳しい寒さの中を、これから旅立つものがある、老年を迎え、いつまたここを訪れることが出来るか、定かならぬ身であるのに

朝に赤穀の亭を出発すれば、前途の険しい旅路が待っている、道には石が積もり、車の轍さえ刻めぬ、車はギクシャクとしてすでに幾度も脂を注いだ

  山深苦多風  山深くして多風に苦しみ
  落日童稚饑  落日 童稚饑ゆ
  悄然村墟迥  悄然として村墟迥かに
  煙火何由追  煙火 何に由ってか追はん
  貧病轉零落  貧病轉た零落す
  故郷不可思  故郷思ふ可からず
  常恐死道路  常に恐るは道路に死して
  永為高人嗤  永く高人の嗤ひと為らんことを

深い山中で吹き荒れる風に苦しみながら、夕方になると幼い子供が飢えを訴えて泣く、村里ははるかかなた、施しを求めようにも余りに遠い

こんな年になって貧しさに落ちぶれ、故郷で安穏に暮らすこともままならぬ、このままでは旅にして行き倒れ、高人の笑いの種になるのではないかと恐れるばかりだ


杜甫は秦州から同谷への困難な旅路の中でも、「発秦州」をはじめ十二首の詩を詠んでいる。いづれも旅の途中での体験を物語る旅行記のような趣の詩である。

秦州をたって最初に詠んだ場所がこの詩にある赤谷だ。秦州から南へ4キロほどの地点にある。まだ旅は始まったばかりだが、杜甫の思いは未来への希望というより、現在の苦難に集中している。ここでもやはり子供たちが、飢えを訴えて泣いているのだ。

先に待っている長い道のりを考えると、途中で野垂れ死にしてしまうのではないか、杜甫はそんな恐怖感に襲われるのを感じ、もしそうなったらひとびとに笑われるだけだと、自らに鞭を打っているように聞こえる。






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