漢詩と中国文化
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新安吏:杜甫を読む



乾元初年(758)の冬、洛陽を占拠していた安慶緒は回?の力を借りた唐軍によって撃破され、一時河南省に退いた。長らく故郷を離れていた杜甫は、この機会に洛陽に戻り、陸渾荘を訪ねてみたいと願った。

しかし洛陽に戻った杜甫を待っていたものは、荒涼とした光景だった。陸渾荘にも昔日の面影はない。わずかに弟の消息を得られたのが収穫だったが、それは山東で戦乱に苦しんでいるといった暗澹たる内容だった。

あけて乾元二年の三月、杜甫は華州に舞い戻るが、その途中で人々の悲惨な境遇を目にすることになった。安慶緒はひとたび退いたものの、史思明と連合して力を回復し、再び洛陽に迫ろうとする勢いを見せていた。それに備えるため、各地で過酷な徴兵と重税とが課せられていたのである。

華州に戻った杜甫は、帰路に見聞した出来事を、一連の五言古詩に描いた。三吏三別といわれるものである。人民を襲った過酷な運命を描いたこれら一連の詩は、杜甫の大きな特質である社会的関心を如何なく伺わせるものとして、彼の最高傑作の一部に数えられている。

新安吏、石壕吏、潼関吏、新婚別、垂老別、無家別と題するものがそれだ。このうち垂老別のみは後年になって書かれたものである。テーマが共通していることから、今日ではまとめて扱われるのが通例となっている。

最初にくるのは「新安吏」。新安県を通りがかった際に、その地の官吏が若者を徴兵に駆り立てる光景を歌っている。


杜甫の五言古詩「新安の吏」(壺齋散人注)

  客行新安道  客は行く新安の道
  喧呼聞點兵  喧呼 兵を點ずるを聞く
  借問新安吏  新安の吏に借問すれば
  縣小更無丁  縣小にして更に丁無し
  府帖昨夜下  府帖 昨夜下り
  次選中男行  次選 中男行く
  中男絶短小  中男絶(はなは)だ短小なり
  何以守王城  何を以てか王城を守らんと

自分が新安の道を通りがかると、かまびすしい騒ぎの中で兵士を点呼する声が聞こえる、新安の官吏に聞けば、この県は小規模で兵士になるものが少ない

昨夜徴兵の命令が下りたので、次善の兵士として次男以下を選んでいるが、彼らはみな体が小さく、どうやって洛陽を守ることが出来るか不安だという、

  肥男有母送  肥男は母の送る有り
  痩男獨伶聘  痩男は獨り伶聘たり
  白水暮東流  白水暮に東流し
  青山猶哭聲  青山猶ほ哭聲
  莫自使眼枯  自から眼をして枯らしむる莫かれ
  收汝涙縱  汝が涙の縱たるを收めよ
  眼枯即見骨  眼枯れ即ち骨を見(あら)はすも
  天地終無情  天地は終に無情なり

栄養のよい男は母が付き添っているが、痩せた男は一人ぽっちだ、白水が東へ向かって流れ、青山からは咽び泣く声が聞こえる、

そんなに泣いてばかりいるのはよくない、いい加減涙を乾かしなさい、涙がかれて骨があらわになったからといって、自然の摂理に変化があろうはずもない

  我軍取相州  我が軍相州を取る
  日夕望其平  日夕其の平らかならんことを望む
  豈意賊難料  豈に意(おも)はんや賊の料り難く
  歸軍星散營  歸軍營に星散すと
  就糧近故壘  糧に就きて故壘に近づき
  練卒依舊京  卒を練って舊京に依る
  掘壕不到水  壕を掘って水に到らず
  牧馬役亦輕  馬を牧して役亦輕し
  況乃王師順  況んや乃ち王師は順にして
  撫養甚分明  撫養甚だ分明なるをや
  送行勿泣血  送行して泣血する勿かれ
  僕射如父兄  僕射は父兄の如し

官軍は相州を奪還した、願わくばそのまま持ちこたえて欲しい、賊軍の力が強く、官軍が星屑のように蹴散らされると思いたくはない

官軍は糧食を整えて防衛線を守り、兵士を訓練しながら拠点を固めている、堀を掘っても水が出るほど深く掘る必要は無い、馬を訓練するのも難しいことではない

いわんや官軍は統制が取れており、兵士を大事にすることは明らかなのだ、だから安心して息子たちを見送り、泣いたりするではない、将軍の慈悲は父兄のように深いのだ


詩の中で徴兵にあった家族が、大人の子供はもうすでに兵士に取られて家には小さなものしか残っていないというのに対し、官吏は親の心配を取り除こうとして、仕事は楽だし将軍は実の父親のようだから安心して参じよと励ます。その言葉が空々しく聞こえることは、余計な説明も要らぬほどだ。






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