漢詩と中国文化
HOMEブログ本館東京を描く水彩画陶淵明英文学仏文学西洋哲学 | 万葉集プロフィールBSS

今夕行 杜甫



杜甫の雑言古詩「今夕行」(壺齋散人注)
  
  今夕何夕歳云徂  今夕 何の夕ぞ 歳云(ここ)に徂(ゆ)く
  更長燭明不可孤  更に燭明を長くして孤なるべからず 
  咸陽客舍一事無  咸陽の客舍 一事も無く
  相与博塞為歡娯  相与に博塞して歡娯を為す
  馮陵大叫呼五白  馮陵 大叫して五白を呼び
  袒跣不肯成梟盧  袒跣して不肯んぜず梟盧を成すを
  英雄有時亦如此  英雄 時に亦此の如き有り
  邂逅豈即非良圖  邂逅 豈に即ち良圖に非ざらんや
  君莫笑        君笑ふ莫かれ
  劉毅從來布衣愿  劉毅 從來 布衣の愿(ねが)ひ
  家無担石輸百万  家に担石無く百万を輸す


今夜は何の夕べか、ほかでもない除夜だ、蝋燭の日を灯して遊ぶべきときだ、咸陽の旅館ではほかでもない、さいころ遊びをして楽しむ人々がいる

馮陵は大声でさいころの目を叫び、もろ肌を脱いで目の如何を争っている、英雄も時としてこのような遊びをするものだ、すばらしい出会いではないか

笑ってはいけない、かの劉毅も生涯平民であることを願い、家にわずかな貯えさえなくとも、百万の大金をかけて負けても平然としていたではないか


李白との旅に別れを告げた杜甫は、いったん洛陽に戻った後、都の長安へ出てきた。天宝五年(746)35歳のときである。すでに青年期を脱した杜甫は、科挙に合格して人生の方向性を固める時期だと感じたのだろう。科挙に及第するためには、やはり長安にいることが有利だ。こうした考慮にしたがって長安にやってきた杜甫は、その年の大晦日を咸陽で過ごした。この詩は、その大晦日の自分の肖像を描いたものだ。

詩の中で杜甫は、ばくち打ちに混じってさいころ遊びをしている。そんな自分を晋の猛将劉毅にたとえている。李白と過ごした放浪の日々が、まだ生々しい印象となって杜甫の脳裏にわだかまっていたのであろう。杜甫らしくない、勇壮な気分があふれた詩だ。  






前へHOME杜甫次へ




 


作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである