漢詩と中国文化 |
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贈李白 杜甫と李白 |
天宝4年(744)の初夏、李白は宦官高力士の讒言によって都を追われ、本拠地だった山東へ向かう途中洛陽に立ち寄った。そのとき洛陽郊外に住んでいた杜甫は、この高名な詩人と運命的な出会いをする。(もっとも杜甫が李白とであったのはこのときが最初ではなく、すでに長安において面識があったとする説もある) 時に李白は44歳、杜甫は33歳、11歳の年の差があったが、二人はすっかり意気投合した。すくなくとも杜甫にとって、李白と出会ったことは、己の詩業にプラスに働いたはずだ。 東へ向かう李白に、杜甫は同行することを申し出た。陸渾荘に居を構え、一家を養うべき立場にあった杜甫だが、李白の魅力に抗し切れなかったのだろう。家族を残して李白とともに放浪する道を選んだのだった。もっともすぐに出かけたわけではなく、継母盧氏の母がなくなったために、その葬儀を取り行って後、初秋8月開封にいた李白に合流した。 二人はこの年から翌年にかけ、梁宋ついで斉魯を旅した。梁宋の旅には李白同様高名だった詩人高適も同行した。 この詩は、李白とともに梁宋を旅する喜びを歌っている。自分はもともと野草が好きだが、これまでは十分に堪能することができなかった。いま李白という友人を得て、彼とともに野草を食いながら旅を楽しむことができるのは、この上ない喜びだ、そう歌っている。 杜甫の五言古詩「李白に贈る」(壺齋散人注) 二年客東都 二年 東都に客たり 所歴厭机巧 歴る所 机巧を厭ふ 野人對腥壇 野人 腥壇に對し 蔬食常不抱 蔬食 常に抱きず 豈無青精飯 豈に青精の飯の 使我顏色好 我が顏色をして好からしむる無からんや 苦乏大藥資 苦(はなは)だ大藥の資に乏し 山林跡如掃 山林 跡掃ふが如し 李侯金閨彦 李侯は金閨の彦 脱身事幽討 身を脱して幽討を事とす 亦有梁宋游 亦 梁宋の游有り 方期拾瑤草 方に瑤草を拾はんことを期す |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |