漢詩と中国文化 |
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風雨(詩経国風:鄭風) |
風雨淒淒 風雨淒淒たり 鶏鳴嘴嘴 鶏鳴嘴嘴たり 既見君子 既に君子を見る 云胡不夷 云胡(いかん)ぞ不夷(たひらか)ならざらんや 風雨瀟瀟 風雨瀟瀟たり 鶏鳴膠膠 鶏鳴膠膠たり 既見君子 既に君子を見る 云胡不癒 云胡ぞ不癒(い)えざらんや 風雨如晦 風雨晦(くら)きが如し 鶏鳴不已 鶏鳴已(や)まず 既見君子 既に君子を見る 云胡不喜 云胡ぞ喜ばざらんや 風雨が寒々として、鶏の??と鳴く声が聞こえてきます、でもあなたに会うことができたのですから、心の中は平静でないわけがありません 風雨が烈しく吹き荒れ、鶏の膠膠と鳴く声が聞こえてきます、でもあなたに会うことができたのですから、心の中は病が癒えたように穏やかなのです 風雨のために昼なお夜のように暗く、鶏の声が泣き止みません、でもあなたに会うことができたのですから、喜ばないではいられません 愛する男と会い、一夜を過ごした女の喜びを歌った歌である。外には風雨が吹き荒れ、鶏が鳴き続けても、自分は男と会えて心足りていると、外界と内面のコントラストのうちに、女の満足感を表現しているのであろう |
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