漢詩と中国文化
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柏舟:我が心石にあらず(詩経国風)



  汎彼柏舟  汎たる彼の柏舟
  亦汎其流  亦た汎として其れ流る
  耿耿不寐  耿耿として寐ねられず
  如有隱憂  隱憂あるが如し
  微我無酒  我に酒の以て敖(ごう)し
  以敖以遊  以て遊する無きに微(あら)ず

  我心匪鑒  我が心 鑒(かがみ)に匪(あら)ず
  不可以茹  以て茹(い)る可からず
  亦有兄弟  亦た兄弟有れども
  不可以據  以て據る可からず
  薄言往愬  薄らく言(ここ)に往き愬(つぐ)れば
  逢彼之怒  彼の怒りに逢ふ

  我心匪石  我が心 石に匪ず
  不可轉也  轉がす可からざる也
  我心匪席  我心 席(むしろ)に匪ず
  不可卷也  卷く可からざる也
  威儀棣棣  威儀 棣棣(ていてい)として
  不可選也  選ぶ可からざる也

  憂心悄悄  憂心 悄悄として
  慍于群小  群小に慍(うら)まる
  覯閔既多  閔(うれひ)に覯(あ)ふこと既に多く
  受侮不少  侮を受くること少なからず
  靜言思之  靜かに言に之を思ひ
  寤辟有漂  寤めて辟(むねう)つこと漂たる有り
 
  日居月諸  日や 月や
  胡迭而微  胡(なん)ぞ迭(かへ)って微なるや
  心之憂矣  心の憂ひ
  如匪澣衣  澣(あら)はざる衣の如し
  靜言思之  靜かに言に之を思ひ
  不能奮飛  奮ひ飛ぶこと能はず


水に浮かぶあの柏の船、汎然として流れていきます、ところがわたしは眠ることもできません、心にわだかまりがあるからです、お酒を飲んで泣き、遊んで気を紛らわすことができないわけでもないのに

わたしの心は鏡ではないので、何でも写して悠然としていることはできません、兄弟がないわけではありませんが、愚痴をこぼすわけにはいきません、そんなことをしたら、怒りを買うばかりでしょう

わたしの心は石ではないので、転がすこともできません、わたしの心は莚ではないので、巻いてしまうわけにもいきません、だから威儀堂々に心がけ、ほかになすすべもないのです

憂鬱な思いをかこっていますと、皆さんから馬鹿にされます、いつも憂えげな顔をしているので、侮られるのです、こんなことを思い続けていると、眠ることもままなりません

お日様やお月様も、いつも明るいわけではありません、わたしの心は憂いのために、いつも着古した衣のように濁っています、こんなことを思い続けていると、鳥のように奮い立つこともできません


古来妾の嘆きを歌ったものだとされてきた。多少難解なところもあるが、その気持ちで読むと、妾の嘆きが伝わってくるような気もする。

昭和時代の作家高橋和巳の小説に「我が心石にあらず」と題する作品があるが、彼はその題名をこの詩からとった。もともと中国文学者として出発した高橋和巳にとっては、詩経の中にあるこの言葉は、心に響くものがあったのであろう。

石を転がすとは、たまった憂いを拭い去ることに通ずる。転がすこともできなければ、憂いはいつまでも晴れぬ。






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