漢詩と中国文化
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秋瑾女史愛国の詩:寶刀歌


秋瑾女史が日本で撮ったという肖像写真が残されている。和服姿に身を包み、きりりとした顔つきで正面をにらんだ彼女の手には短剣が握られている。秦の時代の刺客荊軻を愛し、自らも剣をとって胡(清朝)を倒さんと欲した女史には最も相応しいポーズといえる。

秋瑾は少女時代剣術を学び、生涯剣を愛してやまなかった。金を惜しまず名剣を買い求め、日本刀にも大いに関心を示したという。

悲憤慷慨する折には、俄かに剣を払って舞った。秋瑾は当時の普通の女子と同じく纏足をされて育ったから、足元はよちよちとして覚束なかったかもしれない。しかし彼女は身体の不都合を気迫で補った。常々男装して、革靴を履いたのは、そうした気迫の現れである。

秋瑾の詩には剣を歌ったものが多い。剣を歌うとき、彼女は併せて祖国の解放を訴えた。祖国とは女史にとって漢であった。その漢が長い間清の抑圧に苦しみ、今また西洋列強によって隷属せしめられんとしている。

剣は、彼女にあっては、民族の自立を勝ち取る武器であり、愛国の志を象徴するものであった。

ここでは、剣を歌った秋瑾女史の愛国の詩の中から、「寶刀歌」を取り上げてみよう。(訓読は「碇豊長詩詞世界」を参照)

寶刀歌

  漢家宮闕斜陽裏  漢家の宮闕斜陽の裏,
   五千餘年古國死  五千餘年の古國死す
  一睡沈沈數百年  一睡沈沈として數百年
   大家不識做奴恥  大家は識らず奴と做るの恥
   憶昔我祖名軒轅  憶へ昔我が祖名は軒轅
   發祥根據在崑崙  發祥の根據は崑崙に在り
  闢地黄河及長江  地を闢く黄河及び長江
   大刀霍霍定中原  大刀霍霍として中原を定む

長い詩なので、便宜上4段に分けてみた。最初の段では、5千年の歴史を誇る漢が、今ではすっかり死に体になった、民衆は清に支配されて数百年もの間眠りこけ、恥を知ることもないと嘆くことから始まる。

そして、我が祖国はあの栄えある軒轅、すなわち黄帝が山河を切り開いて作り、大刀霍霍として中原を定めたところなのだから、民族の誇りを持てと叫ぶ。

  痛哭梅山可奈何   梅山を痛哭するを奈何にすべき
  帝城荊棘埋銅駝  帝城の荊棘銅駝を埋めたり
  幾番囘首京華望  幾番か首を回らして 京華を望む
  亡國悲歌涙涕多  亡国の悲歌涙涕多し
  北上聯軍八國衆  北上せる聯軍八國の衆
   把我江山又贈送  我が江山を把って又も贈送す
  白鬼西來做警鐘  白鬼西より來りて警鐘を做し
  漢人驚破奴才夢  漢人驚いて破る奴才の夢

清のために滅ぼされた明の故事、梅山を痛哭しても如何ともならない、あれ以来漢の帝城には雑草がはびこるばかり、何度首を廻らして滅んだ都を望んだことか、そのたびに涙が溢れる。

今また、西洋の八カ国軍が北上してきて、我が山河を蹂躙しようとしている。白鬼すなわち西洋人のために、漢人は驚いてうろうろとするばかりだ。

  主人贈我金錯刀  主人我に贈る金錯刀
   我今得此心英豪  我今此を得て心英豪たり
  赤鐵主義當今日  赤鐵の主義もて今日に當れば
  百萬頭顱等一毛  百萬の頭顱も一毛に等し
  沐日浴月百寶光  日に沐し月に浴せば百寳光る
  輕生七尺何昂藏   生を輕んずるの七尺何ぞ昂藏 
   誓將死裏求生路  誓って將に死裏に生路を求むるべし
  世界和平賴武裝  世界の和平は武裝に賴る
  不觀荊軻作秦客  觀ずや荊軻の秦客と作り
  圖窮匕首見盈尺  圖窮って匕首盈尺に見るるを
  殿前一撃雖不中  殿前の一撃中らずと雖も
  已奪專制魔王魄  已に奪ふ專制魔王の魄

私は金錯刀を贈られて、心が張り切っている。この刀を振りかざし、血と鉄の主義を持って今日に当たれば、敵が百万いようと何のこともない。刀を日月にかざせば百寳が光る、この刀の前ではどんな命も一撃だ。

死中に活路を求めるべし、平和は武力で勝ち取るものだ。かの荊軻は刺客となって秦に赴き、時期の至るや懐より短刀を取り出した。その一撃は始皇帝を倒すことこそ出来なかったものの、その心胆を寒からしめた。

  我欲隻手援祖國  我隻手にして祖國を援けんと欲す
  奴種流傳偏禹域  奴種流れ傳はり禹域にあまねし
  心死人人奈爾何  心死せる人人爾を奈何せん
  援筆作此寶刀歌  筆を援り此を作る寳刀歌
   寶刀之歌壯肝膽  寳刀の歌肝膽に壯たり
  死國靈魂喚起多  死國の靈魂喚起多し
  寶刀侠骨孰與儔  寶刀侠骨孰與か儔なる
  平生了了舊恩仇  平生了了たり舊き恩仇
   莫嫌尺鐵非英物  嫌ふ莫れ尺鐵英物に非ざると
  救國奇功賴爾收  救國の奇功爾に賴って收めんとす
  願從茲以天地爲鑪 願くば茲從り天地を以って鑪と爲し
  陰陽爲炭兮     陰陽は炭と爲し
  鐵聚六洲      鐵は六洲より聚めん
  鑄造出千柄萬柄刀兮 鑄造して千柄萬柄の刀を出だし
  澄淸神州      神州を澄清せん
  上繼我祖黄帝赫赫之成名兮 上より我が祖黄帝赫赫の成名をうけ繼ぎ
  一洗數千數百年國史之奇羞 一洗せん數千數百年國史の奇羞を

私は、剣を持つ片手で祖国のために戦う。世の中には腰抜けどもが溢れている。この連中はどうしようもない奴らだ。そこで私は筆をとってこの寳刀歌を作ったのだ。

寳刀の歌は人を武者震いさせ、国のために殉じようとの気持ちを起こさせる。寳刀と男子の気概は自ずから相伴う、目指す敵はそこにある。

宝刀を軽んずるなかれ、私はこれをもって国を救わんとす。願わくは、天地を炉となし、陰陽の気を炭となし、国中から鉄を集め、おびただしい数の刀を鋳造して、祖国解放の戦いを勝ち取らんことを。

我が祖先、黄帝の赫赫たる成名をうけ繼ぎ、我が祖国数千数百年の恥を濯ごう。

読者はこの詩を読んで、どんな印象を持たれただろうか。秋瑾の国を憂え、刀をとって敵に向かっていこうとの気概が伝わったであろうか。

我々現代人の目からみれば、既に大砲の時代に刀剣で戦おうとする女史の気概は、あるいはアナクロニスティックにも写る。実際彼女のその後の活動振りは、科学的な洞察と綿密な計画に支えられていたというより、どこか左翼小児病的なところがあった。だからこそ、計画を清の官憲にやすやすと見抜かれ、あっさりと弾圧されてしまったのである。

だがそんなことを抜きにして、国を憂える秋瑾の息遣いが伝わってくるような詩である。今、その芸術的な香気は問わない。






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