漢詩と中国文化
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転生豚と毛沢東時代の終わり:莫言「転生夢現」


西門鬧が三度目の転生をして豚となるのは1972年のことである。その豚としての彼が死ぬのは1981年のことだから、転生豚としての西門鬧の生涯は1970年代をほぼカバーしているわけだ。その七十年代は、他の時代と比較して次のように言われる。「五十年代はまあ純潔で、六十年代は狂気のいたり、七十年代はびくびくもので、八十年代は顔色窺い、九十年代ともなれば邪悪の限り」。七十年代がびくびくものなのは、毛沢東の死を挟んで、中国がどの方向に進んでいくのかはっきりしなかったことを反映しているのではないか。

西門鬧は、これまでの二度の転生が不本意だったことを閻魔大王に訴え、それに同情した大王が、もっとましな転生を約束してくれたのだったが、やはり意にそまぬ転生を強いられたのだった。豚は、ロバや牛に比べてましだとは言えない。すくなくとも西門鬧の意識においてはそうだった。だが、1970年代の中国においては、豚は大事にされていた。毛沢東が養豚運動を提唱し、豚を大事にするように人民に推奨していたからだ。だから豚としての西門鬧には、それなりの生きがいがあったのである。

豚としての西門鬧が生まれて来たのは、高密県東北郷人民公社の農場においてであった。そこに飼われていた牝豚が16匹の子豚を生んだのだが、西門豚はその十六匹目の子豚だったのだ。それ故彼は以後「十六匹目」というあだなで呼ばれる。そんなかれの前半生は、人民公社農場の種豚としての生活であり。後半生は農場付近の川の中州に作った豚コロニーのキング豚としての生活だった。

農場では大勢の豚が飼われていた。ほとんどは牝豚である。西門豚は体格がよいところから種豚に選ばれる。もう一頭予備の種豚もいた。小三といって、かなり狂暴な豚だった。小三は西門豚にとって良きライバルであるとともに、協力者となった。豚コロニーで野生豚とかかわりあうに際して、小三はなにかと協力してくれるのだ。

西門豚の世話を焼いてくれたのは、かつての西門鬧の正妻白氏だった。西門豚は彼女とのかつての生活を思い出すと、なんともいえない複雑な感情にとらわれる。一方西門鬧と深いかかわりをもった人たちの間には変化が生まれる。金竜は黄互助と結婚し、藍解放は合作と結婚した。その結婚式に藍瞼は出席しなかった。

かつて転生牛としての西門鬧の睾丸を抜いた許宝が、今度は小三の睾丸を抜いた。抜かれた小三は嘆きの歌を歌った。
 ラララ〜〜ラララララ〜〜
 母さん〜〜ぼくのキンタマがなくなったぁ〜〜
 あなたにもらったキンタマがなくなったぁ〜〜
出血過多で死にそうな小三を、西門鬧の娘で金竜の妹である宝鳳が治療してくれた。傷を縫う糸には黄互助の髪を使ったのだった。互助の髪には毛細血管が通っていて、生命力が宿っていたのだった。

1976年に毛沢東が死んだ。一つの時代の終わりを皆が感じた。そんな中で毛沢東の死を誰よりも悲しんだのは藍瞼だった。藍瞼にとって毛沢東は、自分が個人農家として生きることへの、支えとなってくれた人だったからだ。

西門豚が人民公社を脱走して、川の中州に豚のコロニーを作ったのは、毛沢東の死の直後だった。その前に西門豚は、去勢屋の許宝を殺していた。許宝が自分の睾丸を抜こうとするので反撃したのだ。その際に、許宝の股間にはあるべきものがないことに気づいた。許宝は宦官崩れだったのだ。それで、許宝が睾丸を憎む理由がわかるような気がしたのだった。

西門豚が脱走の決意をしたのは、自分が殺人豚になってしまったからだ。西門豚は考えるのだ。「毛主席が死んで、人間世界にも巨大な変革が起るに違いないし、おまけにいまやわしは血の債務を負った殺人豚、ここにまごまごしていたら、待っているのは包丁と湯がき鍋に相違ない」。そんなわけで彼は脱走の決意をしたのだった。

脱走先は川の中州だった。そこには野生のイノシシが住み着いていて、最初は攻撃的であったが、やがて西門豚を王と仰ぐようになった。西門豚は野生の王国のキング豚となるのだ。

キング豚として五年間生きた西門豚は、ホームシックにかかる。そこで五年ぶりに西門屯に戻って来る。そこで西門豚を待ち受けていたのは、様々な事件だった。まず、洪泰岳の睾丸を抜いてしまった。なぜかといえば、洪泰岳が白氏を強姦しようとするのが許せなかったからだ。「白氏にはほかの男とあれをやる権利がある。ただ、洪泰岳が罵りながら白氏を犯すのは許せなかった。そいつは侮辱だ。白氏に対する侮辱に止まらず、西門鬧に対する侮辱だ」

このほかにも色々なことがあったが、ここでは触れないでおく。ただ白氏がこの騒ぎの直後に首を吊って死んだことをあげておく。なぜ彼女が死んだのかは、詳しく触れられていない。

ともあれこれで西門豚は狂暴な豚のレッテルを張られ、お尋ね者になってしまったのだ。彼のコロニーには武装した人間どもがやってきた。指導しているのは、いまでは西門姓を名乗っている金竜だ。そこに西門豚は、父子の不思議な縁を感じるのだ。この戦いのなかで、藍解放の妻合作が、耳掛けという名の野生豚に片方の尻を噛み取られ、「片ケツ」になるという事件も起こった。

その耳カケは火炎放射器で焼き殺され、西門豚も追いつめられた。そんな緊迫した状況の中で西門豚は最期を迎えるのだ。その最期というのは、水に溺れかかった小さな子どもたちを救い出し、その疲れから水死するという英雄的なものであった。もっとも西門豚は自分を英雄などとは思わない。西門鬧という名の一人間として当たり前のことをしたと思うのだ。「その時のわしは豚ではなく、人間だったし、英雄などではなく、心優しい為すべきことを為す人間だった」

こうして三度目の転生を終えた西門鬧は、またまた閻魔大王のもとへと戻っていくのだ。そんなかれを獄卒どもが歓迎する。「兄弟、又来たな!」




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