漢詩と中国文化
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二つの音:莫言「白檀の刑」


小説「白檀の刑」へのあとがきの中で莫言は、「自分がこの小説で書きたかったのはじつは音だったのだ」と書いている。この小説を構想し、執筆した最初の動機も音だったし、そもそも物書きになって以来自分の意識に付きまとい続けてきたのも音だったというのだ。その音とは、とりあえず二つの音。一つは、自分の故郷である山東省の高密県付近を走っている膠済鉄道の汽車の音、もう一つは、これも故郷に伝わってきたという地方劇猫腔の音楽の音だ。

膠済鉄道の汽車の音は、欧米列強による中国侵略を象徴するものとして、莫言には迫ってくるものらしい。中国の近現代史は、欧米や日本によって侵略された歴史であった。彼の故郷の山東省は、ドイツによって侵略され、それに抵抗する形で義和団事件が起きた。しかし義和団は団結した列強の手で弾圧され、中国への侵略はますます進んだ。膠済鉄道の汽車の音は、その侵略を象徴する音だったのである。

莫言の小説は、中国の近現代史に取材したものが多いということだ。小生が読んだのは今のところ「赤い高粱」とこの「白檀の刑」だけだが、「赤い高粱」は日本による中国侵略とそれに対する中国民衆の抵抗をテーマにしたものだし、この「白檀の刑」はドイツによる中国侵略とそれに対する中国民衆の抵抗をテーマにしたものだ。この小説のなかで、中国民衆の抵抗を体現するのが義和団の動きに同調した孫丙なのである。民衆の抵抗は、ひとり孫丙のみならず、地方の民衆の多くを巻き込んだ形で進む。それをドイツとドイツの機嫌を伺う中国の支配者たちが弾圧する。そこに中国最大の悲劇がある、と莫言は受けとめたのではないか。この小説で描かれた対立の構図は、中国と外国の対立ではなく、中国民衆と支配者の対立なのであり、その対立の当事者である支配者は外国と結託した買弁勢力なのである。だから、膠済鉄道の汽車の音は、単に外国による中国侵略の象徴たるにとどまらず、買弁勢力を含めた支配者たちの象徴でもあるわけだ。

買弁勢力を代表するのは袁世凱である。袁世凱は、もともと清朝の軍隊の組織者だったが、その軍隊を自分の私兵のように使って勢力を拡大し、清朝滅亡後に共和国の総統になったばかりか、短期間ではあるが、王制を復活させて自ら中国皇帝を名乗った男だ。その袁世凱が中国政治の表舞台に登場するきっかけを作ったのが、義和団の弾圧だった。袁世凱は山東省順撫として義和団弾圧の第一線に立ち、その功績によって出世するきっかけをつかんだのである。

袁世凱を小説は漢奸と呼んで、強烈な嫌悪感を表明しているが、実在の人物であるから、いくらあくどい人間でも、小説の中で殺したり、相応の罰を下したりはできない。当人自身は、破滅することなく栄光の座に上り詰めたわけであるから、この世に悪が栄えるという見本のような存在だ。それを小説の敵役として登場させるわけだから、読者は強いストレスを感じる。

読者のストレスは、この小説の中で正義を体現しているといえる孫丙が、残忍なやり方で殺されるところで頂点に達する。なにしろ正義は亡び、悪は栄えるのだ。そこには全く救いがない。読者のストレスは高まる一方だ。その孫丙は、山東省高密県地方に伝わる民衆劇の組織者という位置づけだ。その民衆劇の哀切に満ちた歌声が、莫言のいうもう一つの音なのである。

猫腔(マオチャン)というこの民衆劇は、語りを中心にしたもので、見るとはいわずに聞くというところは、日本の語りの芸能、たとえば説教節や幸若舞などと共通するものらしい。おそらく節をつけながら、歌うようにして語るのであろう。その語りがこの小説を構成する重要な要素となっている。この小説には幾人かの重要人物が出て来て、かれらがそれぞれに語る独白をつなぎ合わせることで成り立っているのだが、その語りは猫腔の歌い語りによって語られるというわけだ。

膠済鉄道の汽車の音と猫腔の歌い語りの声と、この二つの音のうち、莫言は主に猫腔の音を前面に出し、膠済鉄道の汽車の音には言及していない。というのも、この小説が終結を迎えた時点でも、膠済鉄道は完成していないので、小説の中で列車の音を響かせるわけにはいかないからだ。それ故、鉄道の音が象徴する外国の侵略については、これも猫腔の音で代替しなければならない。じっさいその代替は成功しているといえる。というのも、孫丙は猫腔の歌い語りを聞かせながら死んでいくのであるし、その歌声には、侵略者の横暴に対する中国民衆の怒りが込められているのである。

この孫丙を含め、主要な登場人物のすべてが、猫腔の歌声にあわせて自らの境遇を語るのであるし、第三の語り手たる小説そのものの語り手も、猫腔の歌声に合わせて物語を進めていくのである。大体からしてこの小説は、猫腔の舞台を物語っているという体裁をとっているのだ。それについて莫言は、自分はこの小説を、孫丙という実在の人物を描いた「白檀の刑」という猫腔をもとにして書いたとあとがきの中で言っている。小説の中で出て来る猫腔からの引用は、そこからのものだというのだ。もっともこれは莫言一流のでっち上げで、実際にはそんな猫腔など存在していないということだが。

だいたいが、猫腔なる民衆芸能が存在したかどうかも確かなことではないようなのだ。しかしそれがあたかも間違いなく存在したと読者に思わせるところが、莫言の筆力の効用なのだろう。ともあれこの小説は、外国の侵略によって苦しめられていた中国民衆の怨念をリアルに表現し得ている。




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