漢詩と中国文化
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酒国:莫言を読む


莫元の創作年表を見ると、1996年発表の「酒国」は、かれの一連の本格的長編小説の走りとなるものだということがわかる。その三年後には「豊乳肥臀」を書いており、以下堰を切ったように多くの長編小説を書いた。それらが、幻覚的リアリズムという評価を得て、ノーベル文学賞を受賞したことはよく知られている。

莫元の長編小説というと、中国の近現代史に題材をとった、かなり壮大な規模を感じさせるものだ。莫元の小説手法は、明らかに西洋的なものとは違っていて、人間個人の意識に定位しながら、人間の生き方を描くというものではない。人間個人が出てこないわけではないが、そういう場合にも、かれ個人の意識はあまり問題にならずに、集団としての人間が主に描かれる。その集団としての人間とは、莫言にあっては当然中国人ということになるから、莫言の小説の主人公は、集団としての中国人ということになりがちである。その集団としての中国人が、中国という国の特定の時代、つまり中国の近現代を生きている。そういう近現代中国における集団としての中国人の生き方が、莫言の小説が描く世界の基本的な内容になると言ってよい。

ただ、莫言は、そうした近現代を生きる中国人を、よくある普通の方法で描いたわけではない。かれの小説世界の特徴を、ノーベル賞の授賞委員会は幻覚的リアリズムと名づけたが、それは幻覚的なファンタジーとリアルな現実表現とが結びついたというような意味合いの言葉だ。具体的にいえば、ラテン文学を特徴づけるファンタスティックな物語設定を縦軸にし、フォークナーによる時空を超越した語り方を横軸にするといった手法で表現するというものだ。中国の近現代史が特異なファンタジーの世界として設定され、そこにおける出来事が、時空を超越した融通無碍な語り方で語られるというわけである。

この幻覚的リアリズムというべきものが、「酒国」においても意識的に追及されているといえよう。出世作の「赤いコーリャン」においては、まだ因襲的な語り方にとどまっていたものが、この「酒国」において、はじめて「幻覚的リアリズム」向かってへ踏み出したのではないか。じっさい莫言はこの小説の中で、「マジックリアリズム」というような言葉を使っており、後年「幻覚的リアリズム」と呼ばれるような手法を、この作品で意識的に応用したように思える。

もっともこの作品には、莫言文学の特徴である中国近現代史へのこだわりはほとんどうかがえない。この小説の最大のテーマは人肉食である。人肉それも子供の肉を喰うという、きわめていかがわしい習俗をめぐって、物語は展開していく。その展開の仕方は、基本的には司直官憲の捜査という形をとるから、この小説は、外見的にはサスペンスドラマといった体裁をとっている。もっとも通常のサスペンスドラマとは違って、捜査官はハードボイルドなタフガイではなく、優柔不断なウェットボーイであり、そのために自分の任務も果たせず、そればかりか、自分が何のために生きているのかさえ分からなくなるといった、ある意味ふざけた状況設定になっている。

状況設定のふざけたところは、まだある。この小説は、リニアな時間軸にそって単線的に進んでいくのではなく、二人の人物が登場し、かれらが自分の小説を紹介するかたわら、互いに文通するという体裁をとっている。その二人の文通者の一人が莫言であり、もう一人は李一斗という架空の人物である。この小説のテーマは、人肉食と飲酒習慣からなっていて、その飲酒を象徴する人物として李一斗は設定されているのである。李一斗という名が、杜甫の詩「飲中八仙歌」の一節「李白一斗詩百篇」に基づいていることは、莫言自身文中で認めているとおりである。

莫言はともかく、李一斗のほうは、文学者の卵を自認していて、「偉大な作家」莫言にたいして、自作を示しながら批評を期待し、できたら一流文芸誌への掲載を斡旋して欲しいと言っている。そこで彼は、莫言に向けてさまざまな習作を提出するのだが、それが、莫元自身の作である人肉食の物語と並んで、この小説を構成するもう一つの部分になっているのである。李一斗が莫言に提出した作品は、どれも短いものだが、内容は多岐にわたっている。酒の効用をモチーフにした「酒精」に始まり、莫元の作品とも関連の深いテーマを扱った「肉童」、肉童からの発展で、化け物のような子供をモチーフにした「神童」など、互いに関連があるとも言え、またないとも言える様々な短編小説が次々と提示される。その中でもっとも精彩を放っているのは「燕採り」。これは燕の巣を採集するさまをテーマにした作品だが、その物語の主人公というのが、李一斗の岳母の少女時代なのだった。

こんなわけで、李一斗が次々と提出する短編小説群は、一体となったまとまりをもっているわけではなく、酒をテーマにしているという点で、この小説のタイトルである「酒国」とかろうじてつながっているのである。酒国といえば、李一斗とかかわりがあるばかりでなく、莫言の小説とも深いかかわりがある。酒国という名称は架空のものだと莫言は断っているが、一方で実在する都市だと言っており、かれの小説はその酒国という都市を舞台にしているのである。それのみではない、小説の最後では、酒国で行われるお祭りに、莫言は李一斗に誘われる形で参加するのだし、その場で莫元は、自分の小説の登場人物たちと出会ったりするのである。つまり、莫元はいつのまにか、自分の書いた小説の中の人物になってしまっているわけで、これはもともと現実との境界があいまいだったこの小説世界のファンタジックなあり方が、全面的に花開いたといった具合なのだ。

それはともかく、この小説の中で莫元が取り上げたテーマのうちもっともショッキングでかつ意味深長なのが、人肉食であることは間違いない。この小説の中の人肉食は、幼い男児を姿そのものに蒸しあげて、皿の上に載せて供するというグロテスクなイメージで書かれている。そのイメージを莫言は、中国に実際に存在した食文化から得たといっている。この小説の日本語訳に載せられたインタビューの中で、莫言は、「中国医学の一部の腐敗した処方には『紫河車』などと称する胎盤の乾燥させたものを使うことがあります」と発言して、中国人が昔から漢方医学と称して人間の胎児や胎盤を食ってきたことを紹介している。中国人のゲテモノ食い趣味は有名で、猿の脳みそを食うのは無論、珍しい生き物を好んで食う文化がある。その文化が、動物由来の感染症を、かさねがさね生じさせている原因だとの指摘もある。

面白いのは、上述のインタビューに関連して、「『酒国』においては酒国市の美酒と食人料理の開発が改革・開放の成果としてかかれている」と訳者解説が指摘していることだ。というとこの小説は、改革・開放政策がもたらしたものへの批判であるのか。必ずしもそうとばかりも思えない。




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