漢詩と中国文化
HOMEブログ本館東京を描く水彩画陶淵明英文学仏文学西洋哲学 | 万葉集プロフィールBSS


遠別離:李白


李白の雑言古詩「遠き別離」(壺齋散人注)

  古有皇英之二女    古しへ 皇・英の二女有り
  乃在洞庭之南      乃ち洞庭の南
  瀟湘之浦         瀟・湘の浦に在り
  海水直下萬里深    海水直(ただ)ちに下る 萬里の深きに
  誰人不言此離苦    誰人か此の離れの苦しみを言はざらん
  日慘慘兮雲冥冥    日は慘慘として 雲は冥冥たり
  猩猩啼煙兮鬼嘯雨   猩猩煙に啼いて 鬼は雨に嘯(うそぶ)く

昔ふたりの皇后がいて、名を皇と英といわれた。ふたりは洞庭の南の瀟・湘の岸辺に立たれた、

ふたりは悲しみのために涙を流され、それが海水のように万里の深さまで流れ落ちていく、それほどふたりの別離の悲しみは深かったのだ、日は黒い雲に覆われ、猿は霧の中で叫び、幽霊が雨の中でうそぶく

  我縱言之將何補      我縱ひ之を言ふとも 將(はた)何をか補はん
  皇穹竊恐不照余之忠誠 皇穹 竊に恐る 余の忠誠を照さざらんことを 
  雷憑憑兮欲吼怒      雷は憑憑として 吼へ怒らんと欲す 
  堯舜當之亦禪禹      堯・舜之に當って亦た禹に禪(ゆず)る
  君失臣兮龍為魚      君 臣を失へば 龍 魚に為り
  權歸臣兮鼠變虎      權 臣に歸すれば 鼠 虎に變ず
  或雲堯幽囚         或は雲(い)ふ 堯は幽囚せられ
  舜野死            舜は野死すと
  九疑聯綿皆相似      九疑 聯綿として皆相ひ似たり
  重瞳孤墳竟何是      重瞳の孤墳 竟に何れか是なる

ふたりの皇后はいった、わたしたちがいくら語り合っても、事態はよくはなりません、天もわたしたちの忠誠を照らすことはないのです、雷が轟々となって怒りの声を上げるのは、堯・舜にかわって禹が帝位につくからです

君が臣下を失えば竜も小さな魚となり、臣下が権力を握ればネズミもトラに変わります、あるものは堯は幽囚せられ、舜は野死したといいます、九つの偽りの山がそこに並んでいますが、どれも同じようにみえます、いったいその山のどこに、わたしたちの夫の墓があるのでしょう

  帝子泣兮拷_間     帝子は泣く 拷_の間
  隨風波兮去無還     風波に隨って 去って還ること無し
  慟哭兮遠望        慟哭して遠く望めば
  見蒼梧之深山       蒼梧の深山を見る
  蒼梧山崩湘水絶     蒼梧山崩れて 湘水絶えなば
  竹上之涙乃可滅     竹上の涙 乃ち滅す可けん

こうして皇后たちは拷_の間に泣かれ、涙は風波に隨って飛び散っていった、ふたりが慟哭しながら遠くを眺めると、蒼梧の深山がみえます、この山が崩れ湖水が絶えるときでないと、ふたりの涙がやむことはないでしょう


この詩は、舜のふたりの皇后、皇・英を主人公にして、権力の簒奪を憤ったものである。書かれた時期は分らぬが、もしかしたら安禄山の反乱を念頭においているのかもしれない、

伝説によれば、堯は自分のふたりの娘、皇・英を舜に嫁がせた上で舜に帝位を譲ったが、宰相たちが陰謀をたくらんで舜を失脚させ、禹を帝位につかせた。このとき皇・英は瀟・湘の岸にたって大いにな涙を流して悲しんだ。その涙が岸に生えている竹にしみ込んだために、その地方の竹はいまでも斑点があるという。






前へHOME李白次へ






 


作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2010
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである