漢詩と中国文化
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邯鄲南亭觀妓(平原君を偲ぶ):李白


李白の五言古詩「邯鄲の南亭に妓を觀る」(壺齋散人注)

  歌鼓燕趙兒  歌鼓す燕趙の兒
  魏朱弄鳴絲  魏朱 鳴絲を弄す
  粉色艶日彩  粉色 日彩に艶なり
  舞袖拂花枝  舞袖 花枝を拂ふ
  把酒顧美人  酒を把って美人を顧み
  請歌邯鄲詞  邯鄲の詞を歌はんことを請ふ
  清箏何繚繞  清箏 何ぞ繚繞たる
  度曲拷_垂  曲を度(うた)へば拷_より垂る
  平原君安在  平原君 安くに在りや
  科斗生古池  科斗 古池に生ず
  座客三千人  座客 三千人
  于今知有誰  今に于(お)いて 知る誰か有ると
  我輩不作樂  我が輩樂しみを作(な)さずんば
  但爲後代悲  但た後代の悲しみと爲るのみ

燕・趙の少年たちが歌を歌い太鼓を打ち、魏の美少女が管弦を弄す、その美しさは日の光に輝き、舞の袖は満開の枝のように花を散らせる

酒をとって美人を顧み、邯鄲の歌を歌うように求めると、琴の音は美しく響きわたり、歌声は天にのぼって再び降り注いでくる

かの平原君はどこへ行ったのか、古井戸にはおたまじゃくしが生じていると言うのに、平原君の座に連なった3000人の客は、いまでは誰もいなくなった

我々がいまの楽しみを尽くさずにいれば、後代の人々に哀れまれるだけだ


李白が燕(華北の北京地方)に向かったのは、そこで勢力を誇っていた安碌山に取り入ることが目的だった可能性がある。しかし強大な軍事力を集めている安碌山をみて、李白はそこに謀反の予兆を感じたようだ。そこそこに滞在を切り上げて、河南に舞い戻っている。

燕への旅の途中、李白は邯鄲に立ち寄った。邯鄲はかつて平原君が勢力を誇った趙の都である。そこで李白は平原君の栄華を思い起こしながら、歓楽の楽しさを歌った。






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