漢詩と中国文化
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懷仙歌:李白


李白の七言古詩「仙を懷ふの歌」(壺齋散人注)

  一鶴東飛過滄海  一鶴東に飛んで滄海を過ぎ
  放心散漫知何在  放心散漫 知んぬ何くにか在る
  仙人浩歌望我來  仙人浩歌して我の來るを望み
  應攀玉樹長相待  應に玉樹に攀じて長く相ひ待たん
  堯舜之事不足驚  堯舜の事 驚くに足らず
  自餘囂囂直可輕  自餘囂囂 直(た)だ輕んずべし 
  巨鼇莫戴三山去  巨鼇三山を戴きて去ること莫かれ
  我欲蓬莱頂上行  我蓬莱の頂上に行かんと欲す

一羽の鶴が東に飛んで滄海を過ぎていく、その自由気ままなさまはどこへいくというとらわれもない(私もまたその鶴と同じように自由だ)、仙人はおおらかに歌いつつ私の来るのを待ち望み、いまごろは玉の木に攀じ登って待ちくたびれているだろう

古の聖人堯舜のことも私にとっては驚くべきことではない、まして俗世間がいいたてることなど何者でもない、ただ大亀よ、三山を背中に背負っていってしまわないでくれ、私はこれから蓬莱の頂上に行こうと思うのだから


李白は放浪の始めに江陵で偉大な道士司馬承禎と出会ったことをきっかけに道教に心を傾けるようになった。そして30歳前後の頃には多くの道士や隠者と親しく交際した。その中には、後に李白を皇帝に引き合わすきっかけを作った呉?や隠者詩人孟浩然もあった。

この詩は、自分を鶴にたとえながら、仙人の自由な生き方を歌ったものだ。そこには道教の思想が色濃く反映している。






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