漢詩と中国文化
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毛利和子「日中漂流」


毛利和子の近著「日中漂流」は、タイトルにあるとおり、21世紀に入って漂流する日中関係に大きな懸念を投げかけている。日中関係は、戦中戦後の不幸な時期を経て、日中国交正常化によって、一時期きわめて良好な関係を築いたかに見えたが、それも束の間のこと、21世紀に入ってからは、険悪な状況に陥り、政府関係はもとより国民感情のレベルにおいても、相手方への不信が高まって、かえって史上最悪の関係に陥っている。その関係は、近い将来武力衝突にも発展しかねない危うさを抱えている。そういう不幸な事態に陥らないために、両国、特に日本は何に心掛けねばならないか、そういった切羽詰まった毛利の問題意識が、この本からは切々と伝わって来る。

日中関係が不安定なのは、日中国交正常化のプロセスに大きな問題があったためだと毛利は考えている。1970年代の日中国交をめぐる一連の交渉は、アメリカの対ソ戦略と中国の対ソ警戒が共鳴する形で始まり、それに日本が相乗りするというものだった。それゆえ、中国は、対ソ戦略を優先するあまり、日本との関係については、多少甘い態度をとった、それは、戦争被害の賠償を求めないとか、それとのからみで日本の戦争犯罪についても深く追求しないという政策にあらわれたが、その背景にはいわゆる日本人二分論があった。戦争に責任があるのは、一部の軍国主義勢力であり、一般の日本人には責任はない。かえって一般の日本人も戦争被害者だったとする考え方である。この考え方が、20世紀いっぱい中国の指導者の念頭にあった。ところが、それが21世紀になると、劇的に変化した。日本人は、民族全体として戦争責任を負わねばならないにかかわらず、いまだにそれを果していないとする論調が支配的になってきたのである。

一方日本側については、為政者の間では、すでに(台湾との)日華条約の締結をもって日中関係は解決を見たという見解を持つ者がいたくらいに、対中関係で強い反省をしているものは少なかった。まして国民レベルでは、中国に対して反省すべきだという意見は少数派だった。つまり日本人全体として、対中侵略を反省しているとはいえず、日中国交正常化は、未来にむけての経済協力を引き出すための方便くらいに考えていた。そうした考え方は、当時の日本人のほとんどが、中国による戦時賠償の放棄について、ほとんど何らの関心も示さなかったことに現れていると毛利はいう。つまり、日中国交をめぐる一連の動きは、過去の日中関係を十分に清算しないままに、いわば中途半端になされた。その中途半端さのつけが、21世紀になって重くのしかかって来たというわけである。

21世紀早々、中国は経済力で日本を抜き、世界第二の経済大国になった。それが中国国民に妙な自尊心を植え付け、中国はさまざまな領域で活発化した。それを大括りで言うと、ナショナリズムの高まりということになる。そのナショナリズムがもっとも露骨に向けられているのが日本だという。いまや日本は中国にとって、当面する最大の敵という位置づけであり、場合によっては武力によって粉砕すべき敵とみなされている。というのも、最近の中国では軍部の力が高まり、政治を動かすようにもなってきた。その軍部に、石油をはじめとした巨大国営企業が結びつき、それらが利権シンジケートを形成して、国の政策に大きな影響を及ぼしつつある。尖閣問題なども、国営石油企業と結託した軍部が中央政府の意向を乗り越えて勝手に行動している節があるという。毛利はそういう言葉を使っていないが、いまや軍部がかつての日本政府にとっての関東軍的な役割を果たしているということらしい。

もっとも、中央政府がつねに抑制的に行動しているというわけではない。最近の中国外交の特徴として、必要な場合には、軍事力を外交の手段として使うということがある。対ベトナム戦争とか、対インド紛争などは、そうした政策の現われだが、それが日本に向けられると、尖閣諸島など領土紛争に軍事力を用いる可能性は大いに指摘できるという。

一方日本側にも、日中の懸案を、平和的に気長く交渉していこうとする姿勢は見られない。安倍政権時代には、露骨な中国包囲網を作ろうとしたり、中国を仮想敵と見なすような政策をとって、中国側の反発を招いた。そんなこともあって、日中間の意思疎通のチャンネルはかつてないほど弱まってきている。こういう情況の中で、たとえば尖閣問題をめぐる小競り合いが起きた場合、予期せぬ大事態に発展する恐れは否定できない。いまの日中関係は、そういう危険な様相を呈している、というのが著者毛利の基本的な見立てである。

この本には、そうした最近のあやうい日中関係のほか、中国側が抱えているさまざまな問題の分析も見られる。最近の中国は、一時期における民営化の動きに歯止めがかかって、巨大国営企業が市場を支配するようになってきている。その傾向を毛利は国進民退とか、国家資本主義とか呼んでいる。毛利によれば今の中国は、1950年代以来の国有化推進の時代なのだそうである。




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