漢詩と中国文化
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開発主義の時代へ:高原明生・前田宏子


シリーズ中国近現代史D「開発主義の時代へ」は、1972年から2014年までの時期をカバーしている。いわゆる改革開放時代が主な対象である。中国の改革開放は、普通は1978年以降に始まると考えられているので、この時代区分の仕方は意外に思えるかもしれない。1972年といえば、毛沢東はまだ存命だったし、文革も終わっていないからだ。しかし、ニクソンショックや日中国交正常化は1972年のことだし、この年あたりから、中国の改革開放への動きが始まったと著者たちは見ている。毛沢東は教条的な印象が強いが、実際には複雑な人間で、経済発展を重視してもいた。そうした立場から改革開放の重要性も認識していた。だから、1972年を改革開放の開始時点と位置付けることに無理はないというのが著者たちの見方だ。

一般的には、中国の改革開放は1978年の第11期三中全会が発端だとされている。しかし実際には、1970年代の初めころからその動きは始まっていた。それを物語るものとして、著者たちは1960年代後半以降の経済成長率の動きをあげている。中国の経済成長率は、文革の影響が強かった67-68年にはマイナス成長を記録したが、69年には16.9パーセント、70年には19.4パーセントを記録し、72年以降も引き続きかなりな数字のプラス成長を続けた。それらを支えたのは、積極的な外資導入など、改革開放の動きだったというのである。

だが、大局的にみて、改革開放が毛沢東の死後に本格化したことは否めない印象だ。毛沢東が死んだのは1976年。その後をケ小平がついだが、ケ小平はなんといっても経済重視論者だった。中国を改革開放の方向へと本格的に導いたのは、やはりケ小平だと言えるのではないか。今日の中国は、ケ小平の敷いた路線にそって発展してきたと言ってよい。

ケ小平は、社会主義化と経済発展という二つの目標を設定していた。このうち経済発展の動力として改革開放を位置付けたわけだ。それはややもすれば、社会主義化と相反する効果をもたらす。改革開放は市場経済化と民間活力の強化を伴なうが、それが国家の役割を重視する社会主義路線と衝突することになるからだ。ケ小平は、この二つの目標のうち、無論社会主義を忘れたわけではないが、なんといっても経済発展を重視して、社会主義と多少の衝突を覚悟しても、改革開放路線を推し進めた。

1989年の天安門事件は、社会主義と改革開放との矛盾が激化した結果起きたものだ。改革開放が中国人の間に欧米的な価値観をもたらし、その価値観が民主化への衝動を高めた。その衝動が共産党政権への拒絶反応にまで高まったときに、さすがのケ小平も、社会主義者として強い危機感をもったということなのだろう。これ以後の中国の指導者たちは、社会主義と改革開放とをどう両立させるかに神経をくだいた。かれらの最終的な目的は、中国の大国化である。大国に発展するためにはどうしたらよいか、というのがかれらの行動基準になっている。それ故共産党政権は、自らの存在意義を中国社会の経済的な発展に置いているほどである。中国共産党の言う共産主義とは、社会の経済的発展をもたらす最適の解だというのが、今日の中国共産党の公式見解にまでなっている。かれらは自らを開発至上主義政党として自己規定しているというわけである。

そうしたおおまかな傾向のなかでも、歴代の指導者たちには、それぞれ個性の違いがあり、それが政策の微妙な差異となって現われてきた。胡耀邦は民主化について比較的寛容な姿勢をとったが、それが天安門事件を招いたと批判された。後任の江沢民は民主化には不寛容な一方、改革開放は推進するといった、ある意味矛盾した政策をとりながら、大きな失策は演じずに済んだ。江沢民のあとを継いだ胡錦涛は、和諧社会の実現というスローガンが物語るように、ある程度の民主化と改革開放を組み合わせることで、国民の政治的な満足度と経済発展を調和させようとした。胡錦涛の後をついだ習近平は、世界第二になった経済力を背景にして、中国の国家意識の高揚に訴えるという、ナショナリズムの傾向を強めている。ナショナリズムはそれまでもなかったわけではないが、それはある意味防衛的な色彩が強かった。ところがいまや現実の強大な国力を背景にして、ナショナリズムが強い自信と結びつくようになったのである。そんな中国を、アメリカは警戒するようになった、というのが今日の国際的な状況と言えよう。

こうしてみると、中国は国力の高まりを背景にして、次第にナショナリズムの傾向を強めてきていると見られる。共産党政権の存在意義は、従来は経済発展ということにあったが、それが次第にナショナリスト政党へと変貌してきている、というのが著者たちの見立てのようである。それにしても中国という国家は、面白い体制をとっている。表向きは社会主義を標榜しながら、経済的には資本主義の方向をとってきた。そんな中国を国家資本主義と言う者もある。国家のファクターが強い資本主義体制という意味のようだが、たしかに近年の中国は、国有企業の役割が高まっている。一時は民間企業が中国経済発展の最大の駆動力になり、国有企業の影は薄いと言われていたが、近年は再び国有企業のパフォーマンスが高まってきている。今後もそういう傾向が強まるのか。それとも違う方向へ、つまり資本主義強化の方向へ舵を切り替えるのか、注視すべきことである。




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