漢詩と中国文化
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曹操:却東西門行



曹操は三国志の英雄たちのなかでも、人気という点では分がない。蜀の劉備が関羽や張飛などの英雄たちとともに生き生きと描かれているのに対して、曹操には陰険なイメージが付きまとっている。戦いには滅法強かった曹操が、赤壁の戦いで呉の孫権の火責めにあって敗れたのを捕らえて、歴史上これを喝采しなかった者はいなかったほどだ。

何故かくも人気がないのか。曹操には合理主義一徹の冷静さがあって、勝利のためには手段を選ばないところがあり、それが中国民衆の儒教的な名文論に著しく反していると、受け取られたからだろう。「三国志演義」のなかの曹操は、冷酷な悪役として描かれ、それが長い間曹操のイメージとして定着してきたのである。

だが近年になって曹操の評価は変化してきた。諸葛孔明が劉備に天下三分の計を解き、自分たちの安泰を優先したのに対して、曹操は常に中国全体のことを考えていた。その姿勢が毛沢東らによって再発見されたのである。

また曹操は、冷酷で残虐な人間ということになってしまっていたが、実際には礼節を重んじる男であったということも再評価された。たとえば悪逆を尽くした袁紹が滅びたとき、曹操はその夫人に礼節を尽くした。また、建安七子の一人陳琳は袁紹の部下として曹操を誹謗する文書を多く作成したが、曹操は袁紹の死後、陳琳を追及することをしなかった。かれは陳琳を憎むよりも、その才能を重んじたのである。

曹操は当代一流の学者でもあった。孫子の兵法を今日伝わる形にまとめたのは曹操である。彼はまた、優れた詩人でもあった。宦官の孫という出生が、その人柄に複雑な要素を加え、豊かな詩情につながったのだろうと、陳舜臣などは評価している。

曹操の詩は、そう多くは伝えられていないが、いづれも人間的な感情をたたえており、とても冷徹な人間の書いたものとは思われない。ここでは「却東西門行」という作品を取り上げてみよう。


却東西門行

  鴻雁出塞北   鴻雁 塞北に出でて
  乃在無人郷   乃ち無人の郷に在り
  挙翅萬餘里   翅を挙ぐること萬餘里
  行止自成行   行止 自ら行を成す
  冬節食南稲   冬節に南稲を食し
  春日復北翔   春日に復た北に翔る
  田中有轉蓬   田中に轉蓬有り
  随風遠飄揚   風に随って遠く飄揚す
  長與故根絶   長く故根と絶ち
  萬歳不相當   萬歳まで相ひ當たらず

鴻雁は塞北の地に生まれて、人も住まぬところに棲んでいる、翅を広げれば一気に数万里を飛び、その動作には自づから様式がある、冬には南の地にあって稲を食い、春になると北に戻るのだ(行止:行きつ戻りつする動作)

田んぼの中に蓬が生えている、風にしたがって遠く吹き飛ばされ、根っこと離れたまま二度と一緒になることがない

  奈何此征夫   此の征夫を奈何せん
  安得去四方   安んぞ四方を去るを得ん
  戎馬不解鞍   戎馬 鞍を解かず
  鎧甲不離傍   鎧甲 傍を離れず
  冉冉老将至   冉冉として老いは将に至らんとす
  何時反故郷   何れの時にか故郷に反らん
  神龍藏深泉   神龍は深泉に藏れ
  猛獣歩高岡   猛獣は高岡に歩す
  狐死歸首丘   狐死して歸って丘に首ふ
  故郷安可忘   故郷 安んぞ忘るべけんや

蓬のように故郷を離れ遠く遠征する兵たちよ、いまさら戦いを止めて戦場を去るわけにはいかぬ、戎馬の鞍はつけたまま、鎧甲は片時もはずさない

月日は過ぎて年老いていく身には、いつ故郷に戻る望があるのだろうか、龍は深い淵に隠れ、獣は丘に馳せ、狐は死ぬと故郷の方角を向いて倒れるという、どうして故郷を忘れることなどできるだろうか(冉冉:時の過ぎ行くさま)


これは兵士の嘆きを歌ったものであり、けっして将軍のものではない。このようなところに、曹操の人間的な側面が感じられるといって、近年の曹操評価の一つの要素ともなっている詩である。






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