漢詩と中国文化
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杭州春望:白居易


江州司馬に左遷された白楽天は、忠州刺史を経て元和十五年(820)中央に召還されたが、その翌々年の長慶二年(822、51歳)には再び地方に出される。今度は杭州刺史としてである。白楽天自ら地方転出を望み出たとも言われるが、実質は左遷であったらしい。あいかわらず、自分の立場をわきまえず、政府批判をしたことが原因だったらしい。

しかし、白楽天は杭州の地が気に入ったらしく、土木工事など職務に精を出す一方で、詩作も活発になった。「杭州春望」と題する七言律詩は、杭州の名所を歌ったものである。


白楽天の七言絶句「杭州春望」(壺齋散人注)

  望海樓明照曙霞  望海樓明らかにして 曙霞に照らされ
  護江堤白蹋晴沙  護江堤白くして 晴沙を蹋(ふ)む
  濤聲夜入伍員廟  濤聲夜に入る 伍員の廟
  柳色春藏蘇小家  柳色春に藏す 蘇小の家
  紅袖織綾誇柿蒂  紅袖 綾を織りて柿蒂を誇り
  青旗沽酒趁梨花  青旗 酒を沽(か)ふ趁梨花
  誰開湖寺西南路  誰か開く 湖寺西南の路
  草綠裙腰一道斜  草は綠にして裙腰一道斜めなり

望海樓は明るく朝焼に照らされ、護江堤は白くその砂を踏んで歩く、夜には波の音が伍員の廟まで届き、蘇小々の家は柳に囲まれている(望海樓:銭塘江を眺めおろす場所にあった楼、護江堤:銭塘江の護岸、伍員:呉の伍子胥のこと、蘇小:六朝時代の名妓蘇小々のこと)

赤い袖の着物を着た女子は綾織の帯を自慢にし、酒屋では趁梨花という酒がよく売れる、いったい誰が孤山寺の西南の道を開いたのだろうか、緑の草のなかを裙腰のように一直線に伸びている(紅袖:赤い袖の着物を着た女子、青旗:酒場にかかっている旗、湖寺:西湖のほとりにあった孤山寺のこと、裙腰:もすそ)






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