漢詩と中国文化 |
HOME|ブログ本館|東京を描く|水彩画|陶淵明|英文学|仏文学|西洋哲学 | 万葉集|プロフィール|BSS |
戲子由(宛丘先生長きこと丘の如し):蘇軾を読む |
蘇軾の七言古詩「子由に戲る」(壺齋散人注) 宛丘先生長如丘 宛丘先生長きこと丘の如く 宛丘學舍小如舟 宛丘の學舍小なること舟の如し 常時低頭誦經史 常時頭を低れて經史を誦じ 忽然欠伸屋打頭 忽然として欠伸しては屋頭を打つ 斜風吹帷雨註面 斜風帷を吹いて雨面に註ぐ 先生不愧旁人羞 先生は愧じず旁人羞ず 任從飽死笑方朔 任從(さもあらばあれ)飽死して方朔を笑へ 肯為雨立求秦優 肯て雨に立つが為に秦優を求めんや 宛丘先生の背の高いことは丘の如くであり、宛丘の學舍が狭いことは船の中のようである、常に頭を低くして經史を誦じ、時に背伸びをしては天井に頭をぶつける始末 風が帳に吹きつけて雨が顔をぬらしても、先生は一向に気にもとめない、そのさまを人が東方朔に譬えてあざ笑おうと、あるいは秦優のような朴念仁とそしろうとかまう様子もない 眼前勃谿何足道 眼前の勃谿は何ぞ道ふに足らん 處置六鑿須天遊 六鑿を處置するには須らく天遊すべし 讀書萬卷不讀律 書を讀むこと萬卷なれども律を讀まず 致君堯舜知無術 君を堯舜に致すに術無きを知る 勸農冠蓋鬧如雲 農を勸むる冠蓋鬧しきこと雲の如く 送老齏鹽甘似蜜 老を送る齏鹽甘きこと蜜に似たり 門前萬事不掛眼 門前萬事眼を掛けず 頭雖長低氣不屈 頭は長く低きと雖も氣は屈せず 眼前の些事はいうにも足りない、感情を抑えるには天空に遊ぶ気持を持つことだ、読書すること万巻であるが法律のことは読まないので、天子にとって素晴らしい導き手にはならない 農業をすすめてやかましく言説し、年老いて粗末な食事にも満足できる、世の中の些細なことには気にもかけず、頭はいつも低くしていても気概は屈することがない 余杭別駕無功勞 余杭の別駕功勞無く 畫堂五丈容?旄 畫堂五丈?旄を容る 重樓跨空雨聲遠 重樓空を跨いで雨聲遠く 屋多人少風騷騷 屋は多く人は少く風騷騷たり 平生所慚今不恥 平生慚ずる所今恥じず 坐對疲氓更鞭垂 坐して疲氓に對すれば更ごも鞭垂す 道逢陽虎呼與言 道に陽虎に逢へば呼びて與言し 心知其非口諾唯 心に其の非を知って口は諾唯す この自分は杭州の副知事といってもまだ業績もないのに、官舎は広大で天井も高く、聳え立つ威容には雨声も遠く聞こえ、だだっ広い中に風が吹き渡る音が聞こえる いつもは恥に思っていたことをここでは恥と思わず、人民がやってくれば座したまま鞭撻する、道にいやな奴にあっても、相手が自分より上だとわかればお世辞を使い、心ではばかげたことだと思っても口では反対のことをいう 居高志下真何益 居ること高くも志下なれば真に何ぞ益あらん 氣節消縮今無幾 氣節消縮して今は幾(いくばく)も無し 文章小技安足程 文章小技安んぞ程するに足らん 先生別駕舊齊名 先生と別駕と舊(もと)名を齊しうす 如今衰老倶無用 如今衰老して倶に用無し 付與時人分重輕 時人に付與して重輕を分たしめん 位が高いといっても志が低ければ何の意味があろう、気概は失せ去ってつまらぬ人間になるだけだ、文章などはけちなもので身を立てるには足りない、先生と自分とは兄弟ではあるが、ともに老衰していまは役立たずの身だ、どちらがましな生き方をしたかは、他人の評価にゆだねるとしよう 蘇軾の弟思いは前稿で説いたとおりだが、その弟の風貌や志を歌ったのがこの詩である。蘇轍は随分と長身であったようだ。 宛丘は地名、陳州(河南省)にあった。蘇軾がこの詩を作ったのは、煕寧4年(1071)、蘇軾は杭州の副知事として赴任、蘇轍は宛丘の学官をつとめていた。 なお宛丘の丘には、孔子の丘をかけていることは、詩からも読みとれよう。孔子もまた長身であったとされる。 |
前へ|HOME|蘇軾|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009-2011 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |