漢詩と中国文化
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西江月(梅花):蘇軾を読む


蘇軾が恵州まで連れてきたのは、末子の過と愛妾の朝雲だけだった。朝雲は、杭州の出身で、その地に蘇軾が二度目の赴任をした時に妾とし、長男を設けたのだったが、その子は幼くして死んだ。その後も朝雲は蘇軾に連れ添い、嶺南の流謫地まで一緒にやってきたのだった。その時蘇軾は57歳、朝雲は31歳だった。

恵州の生活に馴れ、またこの地に長く住むことに展望が見えた蘇軾は、家を新築することにした。宜興に置いてきた家族を呼び寄せるとともに、朝雲との生活を楽しもうとする意図からのことだった。

本妻が死んだあと、朝雲は蘇軾にとって妻としての役割を果たした。また蘇軾と同じく仏教に深く帰依した。そんな朝雲を蘇軾は維摩経の天女と呼んでいつくしんだ。

しかし家が完成する前に、朝雲は33歳で死んだ。死因は、この地の風土病であるマラリアだったようだ。この家自体は今も残されていて、朝雲祠として知られている。

蘇軾は朝雲の死を悼んで、一篇の詞を作った。西江月(梅花)である。朝雲が死んだ年の暮近くに、梅の花が咲いたのを見て、朝雲を梅花に譬えて偲んだのである。


  玉骨那愁瘴霧   玉骨 那(なん)ぞ瘴霧を愁へん
  冰姿自有仙風   冰姿 自づから仙風有り
  海仙時遣探芳叢  海仙 時に遣はして芳叢を探らん
  倒挂綠毛麼鳳     倒挂せよ 綠毛の幼鳳よ
  素面常嫌粉涴   素面 常に粉涴を嫌ひ
  洗妝不褪唇紅   洗妝褪せずして 唇紅なり
  高情已逐曉雲空  高情 已に曉雲を逐ひて空し
  不與梨花同夢   梨花と夢を同じうせず

汝の玉のような骨は瘴霧などものともしない、汝の妙なる姿には仙風がただよう、海の妖精は汝にはべって草むらをかき分け、綠毛の幼鳳《インコ》は木の枝にとまって汝を案内してくれる

汝の顔は化粧などせずともあでやかで、水で洗っただけなのに唇の色は真っ赤だ、だが汝の魂ははや雲の彼方に飛び去ってしまい、もはや現実とは無縁の存在になってしまった


西江月とは詞の形式の一つで、6、6、7、6からなる4句を二つ重ねたもの。






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