漢詩と中国文化
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三月十七日夜酔中作:陸游を読む


乾道八年(1172、48歳)秋、王炎幕府の解散に伴って興元府を離れた陸游は、その年の末に成都に到着した。陸游を待っていたのは、成都府路安撫使司参議官という職であった。これは単に名目上の職であり、王炎幕府の解散によって職を失った陸游をとりあえず処遇しようとする腰掛のポストだったと考えられる。

その後陸游は、2年ほどの短い間に、権通判蜀州、摂知嘉州、ふたたび権通判蜀州、摂知栄州、そして成都への帰任という具合に、目まぐるしく転職している。彼が着いた職務はいずれも、知事や通判が空席になった時に、その臨時代理を務めるというものだった。それ故、腰を据えて務めるということを期待されなかったわけなのである。

この居候時代というべき時期の始めの頃、まだ成都にあったときに作られたのが「三月十七日夜酔中作」である。中途半端な境遇にあった自分を自嘲するような空気が、この詩には漂っている。


三月十七日夜 酔中の作(壺齋散人注)

  前年膾鯨東海上   前年 鯨を膾にする  東海の上(ほとり)
  白浪如山寄豪壮   白浪 山の如く 豪壮を寄す
  去年射虎南山秋   去年 虎を射つ 南山の秋
  夜帰急雪満貂裘   夜帰れば 急雪 貂裘に満つ
  今年摧頽最堪笑   今年 摧頽 最も笑ふに堪へたり
  華髪蒼顔羞自照   華髪 蒼顔 自ら照らすを羞ず
  誰知得酒尚能狂   誰か知らん 酒を得て尚ほ能く狂ふを
  脱帽向人時大叫   脱帽し 人に向かひ 時に大いに叫ぶ
  逆胡未滅心未平   逆胡 未だ滅せざれば 心未だ平かならず
  孤剣床頭鏗有声   孤剣 床頭に鏗(こう)として声有り
  破駅夢回燈欲死   破駅 夢より回れば 燈は死せんと欲す
  打窓風雨正三更   窓を打つ風雨 正に三更なり

先年東海のほとりで鯨を膾にしたとき、白波が山の如く押し寄せて豪快な気分になったものだ、昨年秋南山で虎狩りをし、夜帰ってくれば急な雪が貂裘に満ちたものだ、(貂裘:テンの毛皮で作った上着)

今年はすっかり衰えてしまって人々の笑い草になり、白髪頭に青白い顔が自分でも恥ずかしい、だが酒が入れば話は別だ、脱帽し人に向かって大いに叫ぶ、(脱帽:酔ったときの典型的な仕草)

えびすどもがまだ滅びないので心の中は穏やかでない、枕元には常に剣が空泣きをしている、さびれた宿場で夢から覚めると灯は消え入らんとし、窓に風雨が吹きつけているのはまさに真夜中のことだ(鏗:金属が発する音の形容)






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