漢詩と中国文化 |
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喜達行在所三首其三:杜甫を読む |
至徳二年(757)旧暦四月、杜甫は安碌山占領下の長安を脱出して行在所のある鳳翔県に向かった。粛宗はこの年の二月、行在所をそれまでの霊武から長安により近い鳳翔県に移していたが、そのことを大雲寺の僧侶賛公から聞いた杜甫は、徒歩で三日ほどの行程なら、何とか歩いてたどり着けるだろうと思ったのだ。 だが鳳翔県への最短距離たる胃水北岸の大道には胡の兵が守りを固めている。そこで杜甫は南岸の間道を通ったと思われるが、敵に見つかることを恐れて、歩みは遅々たるものだったろう。 それでも何とか忍び忍び歩き、ついに鳳翔県にたどり着くことができた。そのときの喜びを杜甫は五言律詩「行在所に達するを喜ぶ」の中で次のように歌っている。 杜甫の五言律詩「行在所に達するを喜ぶ」三首其三(壺齋散人注) 死去憑誰報 死し去らば誰に憑(よ)ってか報ぜん 歸來始自憐 歸り來って始めて自から憐れむ 猶瞻太白雪 猶ほ瞻る太白の雪 喜遇武功天 遇ふを喜ぶ武功の天 影靜千官裡 影は靜かなり千官の裡 心蘇七校前 心は蘇る七校の前 今朝漢社稷 今朝漢の社稷 新數中興年 新たに中興の年を數へん 死んでしまっては誰にそのことを知らせてもらえようか、生きて帰ってきて始めて安堵するのだ、改めて見る太白山の雪、武功の天の下で再び会えたことを喜ぶ 死んでも不思議でなかった自分の影は千官の裡にあり、心は七校を前にして蘇る、今朝漢家の王朝たる唐にとって、新たに中興の年が始まるのだ 詩中にある太白とは長安から鳳翔へいたる道筋にそびえる山脈であり、武功は異水北岸の渡し場である。ここまで来れば鳳翔までまもなくだ。 末の二節で杜甫は粛宗による社稷の回復を願い、新たな中興を期待している。粛宗はそんな杜甫の労苦をねぎらい、左拾遺の職を授けた。杜甫はあれほど願っていた官職が与えられ、前途に一条の光明を感じ取ったに違いない。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |