漢詩と中国文化
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自京赴奉先詠懷五百字



天宝13年(754)の春、長安での生活に窮した杜甫は、妻の親戚のつてを頼って、妻子を奉先県に寄寓させた。奉先県は長安の東北120キロの地点にある。妻は夫の杜甫に別れを告げ、長女の宗文4歳、長男の宗武1歳をつれて、泥土の中を歩いて奉先県に赴いたことと思われる。

年があけて天宝14年の10月に、杜甫に任官の沙汰があった。だが杜甫はこれを辞退した。薦められた官職は雲南省河西県の県尉というものであったが、まず勤務する土地が辺縁の地であるという以上に、この職が人民から租税を取り立てたり、治安にあたるものであったことが、杜甫の心を閉ざしたものと思われる。すでに兵車行の中で、人民の塗炭の苦しみについて同情していた杜甫だ。自分がそんな人民に対して、抑圧する側に回ることが、とても耐えられなかったのだ。

一旦は官職に就くことを思いとどまった杜甫だが、まもなく再度の任官の沙汰があった。右衛率府冑曹参軍といって、長安駐在の近衛軍の武器の管理に従事する職である。低官ではあったが、今度は杜甫は受けることとした。40台半ばになっていまだ妻子も養えない身であるうえ、長安で暮らせることの魅力が杜甫の心を動かしたのだろう。

杜甫は、安定した職につくことができたのを喜び、再び妻子とともに長安で暮らすことを願って、さっそく奉先県まで妻子を引き取りに出かける。天宝14年11月初めのことであった。

そのときの旅の様子を、杜甫は「京より奉先に赴く詠懷五百字」という長編の詩に残した。いろいろな意味で、杜甫の詩業にとって大きな転換点となった作品である。


杜甫の五言古詩「京より奉先に赴く詠懷五百字」(壺齋散人注)

  杜陵有布衣  杜陵に布衣有り
  老大意轉拙  老大にして意轉(うたた)拙なり
  許身一何愚  身を許すこと一に何ぞ愚なる
  竊比稷與契  竊かに稷と契とに比す 
  居然成穫落  居然として穫落を成し
  白首甘契闊  白首 契闊に甘んず
  蓋棺事則已  棺を蓋ひて事則ち已む
  此志常覬豁  此の志常に豁なるを覬(ねが)ふ

杜陵に布衣の男がいる、年をとっていよいよ不器用になってきた、身の処し方が愚かなことは、あの稷と契にも劣らない

それをありのままに受け入れて平然とし、白髪頭で艱難辛苦に耐えている、人の価値は棺に納められて初めて定まることだから、この志を常に持ち続けたい

  窮年憂黎元  窮年 黎元を憂へ
  嘆息腸内熱  嘆息して腸内熱し
  取笑同學翁  笑ひを同學の翁に取るも
  浩歌彌激烈  浩歌 彌(いよいよ)激烈なり
  非無江海志  江海の志の
  蕭灑送日月  蕭灑として日月を送る無きに非ざれども
  生逢堯舜君  生きて堯舜の君に逢へば
  不忍便永訣  便ち永訣するに忍びず

一年中人民の身の上を心配して、嘆息しては腸内が熱くなる、同学の士からは笑われるが、浩歌して思いはいよいよ激烈だ

江海の志を以て、のんびりしたいと思わぬわけでもないが、折角生きている間に名君に出会ったのだから、このまま身を退くのが惜しまれるのだ

  當今廊廟具  當今 廊廟の具
  構廈豈雲缺  構廈 豈に缺けたりと雲(い)はんや
  葵?傾太陽  葵? 太陽に傾く
  物性固莫奪  物性固(もと)より奪ひ莫(がた)し
  顧惟螻蟻輩  顧りみて惟ふに螻蟻の輩
  但自求其穴  但だ自から其の穴を求む
  胡為慕大鯨  胡為(なんすれぞ)大鯨を慕ひて
  輒擬偃溟渤  輒ち溟渤に偃(ふ)せんと擬するや

当今の朝廷には、立派な人材がいないわけではないが、葵が太陽に傾くように、君子を敬うのが自分の性向だ

省みれば螻蟻の輩が、汲々として自分の居場所を求める中で、なんとまあこの私は大鯨を慕って、大海の底を泳ぎたいと願うのだ、

  以茲悟生理  茲を以って生理を悟るも
  獨恥事幹謁  獨り幹謁を事とするを恥ず
  兀兀遂至今  兀兀として遂に今に至り
  忍為塵埃沒  忍んで塵埃に沒するところと為る
  終愧巣與由  終に巣と由とに愧ずるも
  未能易其節  未だ其の節を易ふる能はず
  沈飲聊自遣  沈飲して聊か自ら遣り
  放歌破愁絶  放歌して愁絶を破る

こんな具合に世の道理を悟った次第だが、人にコネを求めたりするのはいやだ、そこで兀兀として今に至り、塵埃に埋没せんばかりになった

まことに巣父や許由らの隠者には恥ずかしいが、まだ世に出たいとする志は捨てられない、沈飲して呆然とし、放歌して憂いを忘れようとするばかりだ


ここまでは、任官にいたった経緯が書かれている。自分は大きな志を持って、天下国家を理想的な状態に導きたいと常々思っていたが、生来不器用なおかげで、世とうまく付き合うことができず、市井に埋もれたままでいた。

自分の性格を考えれば、このまま引退して山野に悠然と暮らすのもひとつの生き方だが、やはり世の中のことを考えると、そうもできぬ。まして英明な君主が自分を評価してくれて、官職につけてくれた。それを恩に思って、世の中のためにひと働きをしたい。

そんな気持ちが伝わってくるが、それは杜甫の偽らざる気持ちであったのかもしれない。

  歳暮百草零  歳暮 百草零ち
  疾風高岡裂  疾風 高岡裂く
  天衢陰崢エ  天衢陰りて崢エたり
  客子中夜發  客子 中夜發す
  霜嚴衣帶斷  霜嚴にして衣帶斷え
  指直不得結  指直くして結ぶを得ず
  凌晨過驪山  晨を凌ぎ 驪山を過ぐ
  禦榻在帯丘  禦榻 帯丘に在り

年は暮れて草木はみな枯れた、疾風が吹いて丘が裂けるほど、空中の道は曇空に高くそびえる、そんななか自分は深夜に出発した

霜が凍って衣帶が切れても、指がかじかんで結ぶことができぬ、早朝を冒してやがて驪山を過ぎれば、天使の椅子が高いところに置かれていた 


こうして杜甫は、長安での官吏としての生活を、妻子と一緒に送るべく、年も押し詰まった頃に、疾風の吹きすさぶ深夜に出発した。

やや進むと驪山を過ぎる。行楽で有名なところだ。そこに天子の一行が、遊興にふけっている様子が見えた。この後、杜甫の筆は天子の一行のあでやかな様子を描き続けていく。そこには人民の苦しみをよそに、快楽にふける支配者たちへの怨念のようなものがこもっているといってよい。

  蚩尤塞寒空  蚩尤 寒空を塞ぐ
  蹴踏崖谷滑  蹴踏すれば崖谷滑らかなり
  瑤池氣鬱律  瑤池 氣鬱律たり
  羽林相摩戛  羽林 相ひ摩戛す
  君臣留歡娯  君臣留りて歡娯す
  樂動殷膠葛  樂動きて膠葛に殷たり
  賜浴皆長纓  浴を賜ふは皆長纓なり
  與宴非短褐  宴に與るは短褐に非ず

蚩尤の旗雲が寒空をふさぎ、たたずんでそれを見れば崖谷は滑りやすい、瑤池には温泉の煙がもくもくと立ち上り、羽林の器は互いにこすれあう音を立てる

ここに君臣が逗留して楽しんでいるのだ、楽の音が華やかに鳴り渡る、入浴を賜るのは皆長纓を着けた高貴のもの、宴会に預かるのは短褐の貧乏人ではない

  丹庭所分帛  丹庭 分つ所の
  本自寒女出  本(もと)寒女自り出づ
  鞭撻其夫家  其の夫の家を鞭撻し
  聚斂貢城闕  聚斂して城闕に貢ぐ
  聖人筐匪恩  聖人 筐匪の恩
  實欲邦國活  實に邦國の活せんことを欲するなり
  多士盈朝廷  多士 朝廷に盈つ
  仁者宜戰栗  仁者 宜しく戰栗すべし

宮廷で下賜される帛は、元はといえば寒女が作ったもの、その家を鞭を以て収斂し、城闕に貢物としたものだ

君子が臣民に賜うのは、国を栄えさせるのが目的、朝廷には多くの人々が仕えているが、仁者ならよくよくこのことをわきまえるべきだ

  況聞内金盤  況んや聞く 内の金盤
  盡在衛霍室  盡く衛霍の室に在り
  中堂有神仙  中堂に神仙有り
  煙霧蒙玉質  煙霧 玉質を蒙ふ
  煖客貂鼠裘  煖客 貂鼠の裘
  悲管逐清瑟  悲管 清瑟を逐ふ
  勸客駝蹄羹  客に勸む 駝蹄の羹
  霜橙壓香橘  霜橙 香橘を壓す
  朱門酒肉臭  朱門 酒肉臭し
  路有凍死骨  路に凍死の骨有り
  榮枯咫尺異  榮枯 咫尺異なり
  惆悵難再述  惆悵 再び述べ難し

いわんや聞くところによれば内裏の金盤は、尽く衛氏や霍氏の家に集まると言うではないか、中堂には神仙のような美女が集まり、香の煙がその肌に漂っているとのこと

煖客は貂鼠の裘を着て、笛の音は瑟の音に寄り添い、客には駱駝の肉の羹を勧め、橙の実がみかんの実の上にうずたかく重ねられている

かく朱門のうちではご馳走があふれているというのに、路傍では凍死者の骨が横たわっている、このように栄枯がわずかの間を置いて隣り合う、そのうらめしさは筆舌に尽くしがたい


杜甫の権力者に対する批判意識は、「朱門酒肉臭 路有凍死骨」にいたって爆発しているかのようだ。爾来この句は、中国人の心に深くしみこんできた。

  北轅就渭  轅を北にして渭に就く
  官渡又改轍  官渡又轍を改む 
  群冰從西下  群冰西より下る
  極目高卒兀  極目高くして卒兀たり
  疑是空洞來  疑ふらくは是空洞より來るかと
  恐觸天柱折  恐らく觸れなば天柱折れん
  河梁幸未斥  河梁幸に未だ斥けず
  枝?聲悉卒  枝? 聲 悉卒たり
  行李相攀援  行李相ひ攀援し
  川廣不可越  川廣くして越ゆべからず

轅を北に向けて水・渭水に沿って歩き、官営の渡し場でまた方向を変える、西のほうからは川水が滔々と流れ来り、高く盛り上がってみえる、まるで??山から流れ出てくるようだ、それに触れたら天の柱が折れるかもしれない

川にかかった橋は幸いに砕けずにおり、柱がみしみしと音をたてている、人々が相次いでつかまるが、川幅が広く容易にはわたれない


杜甫はなおも道を進む。道は山岳地帯に入って、いよいよ険しさをます。

  老妻寄異縣  老妻 異縣に寄し
  十口隔風雪  十口 風雪を隔つ
  誰能久不顧  誰か能く久しく顧りみざらんや
  庶往共飢渇  庶はくは往きて飢渇を共にせん
  入門聞號兆  門に入れば號兆を聞く
  幼子餓已卒  幼子餓えて已に卒すと
  吾寧舍一哀  吾寧ぞ一哀を舍かんや
  裏巷亦嗚咽  裏巷も亦嗚咽す
  所愧為人父  愧ずる所は人の父と為り
  無食致夭折  食無くして夭折を致せしを
  豈知秋禾登  豈に秋禾の登を知らんや
  貧窶有倉卒  貧窶 倉卒たる有り

老妻を他県に預けたまま、久しく会うことがなかった、夫として長らく放置しておくわけにはいかない、願わくは妻のところに行って飢渇をともにしたい

ところが門に入ると号泣する声が聞こえてくる、幼子が飢えで死んだというのだ、どうして悲しまずにおられよう、近隣の人々も一緒に嗚咽してくれた

父親の身でありながら、幼い子を死なせたことが恥ずかしい、秋の実りを知ることもなく、貧しさのうちにあわただしく死んでしまったのだ


目的の場所にたどり着いた杜甫を待っていたものは、思いもかけぬ光景だった。生まれたばかりの幼児が、飢えのために死んだというのだ。杜甫はその光景に接して、子を養えぬ父親であることに、深い慙愧の念を覚えるのだ。

  生常免租税  生 常に租税を免かれ
  名不隸征伐  名は征伐に隸せず
  撫跡猶酸辛  跡を撫すれば猶ほ酸辛たり 
  平人固騷屑  平人は固より騷屑ならん
  默思失業徒  默思す失業の徒
  因念遠戍卒  因って念ふ遠戍の卒
  憂端齊終南  憂端 終南に齊し
  項洞不可拾  項洞として拾(ひら)ふ可からず

自分は生来常に租税を免かれ、戦役に駆り出されることもなかった、それでもなおこのような辛酸を嘗めている、まして普通の人の厳しさはそれ以上だろう

壮健なものを兵にとられて残された人たちのことを思い、遠くへ遠征している兵士たちのことを思うと、憂いの大きさは終南山に等しく、もやもやとした心情はとても言い表すことができぬ


詩の最後に至って杜甫は、自分の個人的な不幸を超えて、人々の不幸にも思いをいたし、そこに人間としての連帯のようなものを吐露する。自分は官吏として租税も兵役も免れている身であるのに、なおこの苦しみを味わっている。いわんや、苛斂誅求されるばかりの人民の苦しみは、どれほどのものであろうか。

この詩は、社会的な視野を詩の中に取り込んでいる点で、兵車行の比ではない。これ以後の杜甫の詩は、個人としての感性を超えて、つねに人民の窮状に深い関心を寄せる社会的な視野をとりこんだものになっていく。その意味で、杜甫の詩業にとって、大きな転換点となる作品なのだ。






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