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不幸な結婚:魯迅「傷逝」


魯迅の短編小説「傷逝」は、男女の結婚の破綻とそれがもたらした不幸を描いたものだが、それには魯迅自身の個人的な事情もいくらか盛り込まれていると考えられる。この小説の中の主人公は、魯迅自身と重なりあう部分をある程度持っていると推測されるのである。

知識人である主人公は、やはり世の中について進歩的な考えを持っていた女性と結婚する。その結婚は、主人公の生活が安定していた時期には何とか営まれていたが、主人公が失業し、生活が不安定になると破綻する。そして、主人公の残酷な一言によって妻は打ちのめされ、主人公から去っていったばかりか、失意のうちに死んでしまう。そんな妻に対して、主人公が自責の念に駆られる、というのが大方の筋である。

主人公は何故、妻に向かって残酷な言葉を吐いたのか、その辺の事情はあまり詳しく書かれていない。ただ主人公が次第に妻を邪魔に思うようになったということが書かれているだけだ。また、進歩的な考えの持ち主であるはずの妻がなぜ、主人公に反発することなくあっさりと去って行ったか、それも父親に迎えられて。そこのところも詳しく触れられていない。読者の目には、ある日突然この夫婦の結婚が破綻したことを知らされるだけなのである。

それ以上に不可解なのは、主人公が自分から妻を捨てたにかかわらず、そのことを強く後悔することである。彼女の葬式の様子を想像しながら、主人公は次のように思うのである。

「亡霊なるもの、地獄なるものが、真にあればと私は思う。それがあれば、たとえ疾風の怒り狂う中であろうと、私は子君を探し求め、その面前で私の悔恨と悲哀とを打ち明けて、彼女の許しを願うだろう。さもなければ、地獄の毒火が私を包囲し、私の悔恨と悲哀とを猛然と焼き尽くすだろう」(竹内好訳)

こんなふうに後悔するくらいなら、始めからそんなことを言わなければよかったのだ。にもかかわらず、いってしまったのはどういうわけか。読者にはそこのところが腑に落ちぬだけに、主人公のこの後悔が間の抜けたものに映る。

この小説の中では、主人公はただ単に妻の存在が煩わしくなったとだけ書かれている。これを書いた現実の魯迅自身も、妻の朱安が煩わしく、夫婦らしい感情を持つことが出来なかった。魯迅が朱安を妻にしたのは、自分の意思からというよりは、母親の取り計らいによるものであり、朱安にはついに親密な愛情を感じることができなかったのである。だから、この小説の中で、主人公が妻を煩わしいと感じるところは、魯迅の朱安に対する思いをかなりな程度物語っていると考えられるところもある。

しかし小説の中の妻と現実の朱安とではかなりな違いがある。小説の中の妻は聡明な女性ということになっており、主人公はその聡明さに引かれて結婚したのだということになっている。一方朱安のほうは封建的な家庭で育ち、纏足をされて歩くこともままならず、世の中のことはほとんど何も知らなかった。魯迅とは、あまりにも育った背景が異なり、親密な会話を交わすような間柄になれなかったのだ。

それ故、魯迅が妻の朱安に不満を感じるのには理由があるが、小説の中の主人公が妻に不満を感じるのにはあまり強い理由がない。主人公の気持ちはただの我儘の現れとしかいいようがないのである。

この小説の背景にはもう一つの事情がある。許広平の影である。この小説を書いた頃、魯迅はこの女性との間で、文通を始めていた。後に「両地書」としてまとめられる書簡のやりとりである。この文通を通じて、魯迅の許広平への愛は深まっていったのであるが、その辺の事情がこの小説の中に反映していると考えるには理由があるだろう。

新たに出現した女性への愛を感じて、魯迅は自分の不幸な結婚を反省したのではないか。そして、できれば朱安との結婚を解消して、許広平と再婚したいと考えたのではないか。だがそれでは、人間としてあまりにも身勝手すぎる。そんなふうに思って、魯迅は散々悩んだのではないか。その悩みがこの小説の中に影を落として、小説の筋をわかりにくくしたのではないか。そんなふうにも思われるのである。

現実の魯迅は、朱安を離縁することはなかった。だが、朱安を妻として持ちながら、許広平との間でも家庭を持ち、子どもまで設けた。日本人の感覚では、妾に子どもを生ませた、ということになるのだろう。

一方小説の中の主人公には、妻の外に愛人はいない。彼は、ただ何となく妻が嫌になり、そのことを正直に妻に話したところ、打ちのめされた妻が、父親に引き取られて去っていくのである。恐らく彼女は父親によって新たな結婚を強いられるだろう。

こんなわけで、この小説はテーマがはっきりせず、非常にわかりづらいところがある。わかりやすいのは、自分の心無い一言によって妻を傷つけたことに対する、主人公の率直な反省である。上述の引用箇所に続いて、主人公は次のように、亡き妻の許しを乞う。

「妖風と毒火のなかで、私は子君をかき抱き、彼女の寛容を乞うだろう。彼女は心なぐさんでくれるだろうか・・・」






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