漢詩と中国文化
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食人社会を糾弾する:魯迅「狂人日記」ほか


魯迅の処女小説「狂人日記」は、色々の点で中国文学にとって画期的な先品である。まず、口語体で書かれた初めての小説だという点。語彙や文法の点で、まだ文語の面影を完全には払しょくしていなかったが、句読点の用い方などを工夫することによって、なるべく日常の話し言葉に近づけようとする意図が伺われる。円熟した口語体が自在に用いられるようになるには、翌年発表の「孔乙己」を待たねばならないが、とにかくこの作品は、中国文学にとって、口語体で文章を書くという画期的な方向性に、初めて応えた作品なのである。

次に、強烈な儒教批判を展開したという点。儒教は、中国の伝統的な思想ではあるが、権力による民衆支配の道具としての性格を持たされてもいた。特に、清朝の時代には、異民族による漢族の支配を正当化する論理としても機能していた。それ故、儒教のうちにある、権力の支配を正当性する論理を攻撃することは、清朝の支配に対する挑戦を意味していた。魯迅は、この作品で儒教の道徳を攻撃することで、支配の正当性に疑いの目を向け、それに打撃を与えようとしたのである。それは、漢民族の自立を掲げる思想革命の動きを、文学作品のうえで実現する意義をもつこととなった。この作品を通じて魯迅は、中国革命の重要な担い手の一人になったわけである。

「狂人日記」は、狂人の目を通して、儒教道徳の欺瞞性を暴きだしたものである。主人公である狂人の目から見れば、儒教道徳とは食人のことである。というのも彼は、小さい時に兄がこういうのを聞いたことがあるからだ。「父母が病気になったら、子たるものは自分の肉を一片切り取って、よく煮て父母に食わせるのが立派な人間だ」と。それ以来この狂人には、食人のイメージが、心の奥深く刻み込まれてしまい、ことあるごとに、自分が人に食われるのではないかと恐れ、また、可愛い自分の妹が小さい頃に死んだのは、実は食人の犠牲にされたのではないかと、妄想するようになったのであった。

この狂人の妄想はしかし、決して突拍子のないことではなかった。魯迅がこの作品を書く直前にも、「孝子が股の肉を裂いて親の病を治した」とか、「賢婦が我が肉を裂いて姑に食べさせた」とか、「良妻が腕の肉を裂いて夫の病を治した」とかいったことが、善行の見本として、大きなニュースになっていたのである。実際、こうした風潮は、中国史の上では、南宋や元の時代までさかのぼるらしく、それが清朝にあっても生き残っていたようなのである。魯迅の目には、この風習は儒教道徳の欺瞞性を示すシンボルとして映ったに違いないのであって、それ故、小説の中の登場人物たる狂人の口から、食人の欺瞞性と恐ろしさとを、告発させたのであろう。

狂人は、自分がいつか他人に食われてしまうのではないかと、常に恐れている。何故なら、「やつらは人間を食いやがる。してみると、俺を食わないという理由はない」(竹内好訳)からだ。

俺の兄貴は自分の妹を食った。「人間を食うのが俺の兄貴だ。俺は人間を食う人間の弟だ。俺自身が食われてしまっても、依然として俺は人間を食う人間の弟だ」という具合に、狂人の妄想は果てるところがない。果ては、「俺は知らぬ間に、妹の肉を食わせられなかったとはいえん」とまで思い詰める。そして、自分も同じように食われてしまうのではないかと恐怖するのである。

しかし、その狂人にもひとつだけ希望がないわけではない。それは子どもたちだ。人間を食ったことのない子どもたちが、まだいるかもしれない。その子供たちは今後も人間を食わずに済むかもしれない。だから、そんな子どもたちが、食人とは縁のない生き方をできるように、希望を託そうではないか。

そして「子どもを救え」という狂人の言葉で、この小説は終わるのだ。

「薬」は、人肉饅頭を食えば肺病が治ると信じている民衆の蒙昧さを暴きだした作品だ。息子が肺病になった両親が、なけなしの金をはたいて、息子に人肉饅頭を食わせてやろうと思いつく。人肉で作った饅頭を食えば、どんな病気でも治ると、この両親は聞かされ、それを信じ込んでいるのだ。

ちょうどよく、その原料が手に入ることとなった。そこで、父親が金を持って出かけていくと、一人の男が目の前でリンチされ、殺されたうえで、その体から肉の塊が取り出される。それを受け取った父親は、家に持って帰って饅頭にし、息子に食わせる。だが息子は、両親の願いの甲斐なく死んでしまう、という悲しい物語だ。

この小説の中では、リンチされた男を巡って、リンチ仲間の一人が不気味なことを言う場面がある。

その男は、「あのガキぁ、命はいらんとよ」 といって、自分たちがあのガキを殺したのは、さも道理にかなったことだと強調したうえで、リンチ仲間らが、殺した罪人を儲けのダシに使った話をするのだ。罪人が着ていた着物は牢番の阿義が剥ぎ取っていった。夏三爺は罪人の体を切り刻んで、それでもって金を儲けることが出来た。その夏三爺から人肉を買い取った男は、一番の当たり矢だといってもいい。なにしろそれで、息子の病気を治せるのだから。それらに反してこの俺様は、何のいいこともなかった、というわけなのである。

これは、他人の不幸でさえ、自分の幸福の材料にして恥じない、中国の民衆の強欲さを糾弾した場面だろう。

「狂人日記」に描かれた食人が、儒教道徳の欺瞞ぶりを暴きだしたものとすれば、「薬」に描かれた食人は民衆の無知蒙昧さのシンボルだといってよい。中国人の道徳は、民衆の無知蒙昧さの上に成り立っている。そう魯迅は指弾しているかのようである。






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