漢詩と中国文化
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五弦彈:白楽天を読む


白楽天の「新楽府」から「其十七 五弦彈」(壺齋散人注)

  五弦彈 五弦彈  五弦の彈 五弦の彈
  聽者傾耳心寥寥  聽者は耳を傾け 心寥寥たり
  趙璧知君入骨愛  趙璧は知る 君が骨に入りて愛するを
  五弦一一爲君調  五弦 一一 君が爲に調す
  第一第二弦索索  第一第二の弦は索索として
  秋風拂松疏韻落  秋風 松を拂って疏韻落つ
  第三第四弦泠泠  第三第四の弦は泠泠として
  夜鶴憶子籠中鳴  夜鶴子を憶って籠中に鳴く
  第五弦聲最掩抑  第五の弦は聲最も掩抑にして
  隴水凍咽流不得  隴水凍咽して流れ得ず
  五弦並奏君試聽  五弦並び奏す 君試みに聽け
  淒淒切切複錚錚  淒淒 切切 複た錚錚
  鐵擊珊瑚一兩曲  鐵は珊瑚を擊つ一兩曲
  冰瀉玉盤千萬聲  冰は玉盤に瀉ぐ千萬聲

五弦の彈、五弦の彈、聞くものは耳を傾けて心がうつろになる、趙璧はあなたが骨の髄までそれを愛するのを知り、五弦の一本一本をあなたのために弾くのだ(五弦彈:五弦の琵琶の演奏、寥寥:聞き惚れてうつろになること、趙璧:貞元年間の琵琶の名手、入骨愛:骨の髄まで愛する)

第一第二の弦は索索として、秋風が松を拂って疏韻が落ちるよう、第三第四の弦は泠泠として、夜の鶴が子を思って籠の中で泣くが如く、第五の弦は聲最も掩抑にして、隴水の水が凍りついて流れえないかのようだ(索索:かわいたカラカラという音、疏韻落:枯れた味わいの音がする、掩抑:低く抑える、隴水:甘粛省隴山に発する川)

五弦を並び奏するので試みに聞きたまえ、その音は淒淒切切また錚錚、鉄で珊瑚を一撃したような音、氷が玉盤に注ぐような声(淒淒:風が吹きすさぶ様子、切切:切迫した様子、錚錚:金属の触れ合うような音)

  鐵聲殺 冰聲寒  鐵聲は殺 冰聲は寒
  殺聲入耳膚血憯  殺聲耳に入りて膚血憯たり
  寒氣中人肌骨酸  寒氣人に中(あた)って肌骨酸たり
  曲終聲盡欲半日  曲終り聲盡きて半日ならんと欲し
  四坐相對愁無言  四坐相ひ對して愁へて言無し
  座中有一遠方士  座中一遠方の士有り
  唧唧咨咨聲不已  唧唧 咨咨 聲已まず
  自歎今朝初得聞  自ら歎ず今朝初めて聞くを得たり
  始知孤負平生耳  始めて知る平生の耳に孤負せしを
  唯憂趙璧白發生  唯憂ふ 趙璧の白發生じ
  老死人間無此聲  老死して人間に此の聲無きを

鉄の音は激しく、氷の音は冷たい、烈しい音が耳に届くと肌も血も凍え、冷たい音が迫って来ると骨身にしみる

曲が終り声が止んで半日経っても、一同向かい合って憂いの余り声も出ない、座中遠方から来た人がいて、嘆き声を出しながら次のようにいう(唧唧咨咨:どちらも深く嘆く様子)

今初めてこの曲を聞きましたが、今まで聞いてきた音楽は偽物だったとわかりました、心配なのは趙璧が年を取って、死んでしまった後のことです(孤負:裏切る)

  遠方士      遠方の士よ
  爾聽五弦信爲美  爾五弦を聽いて信に美と爲す
  吾聞正始之音不如是 吾聞く 正始之音は是くの如くあらずと
  正始之音其若何  正始之音は其れ若何(いかん)
  朱弦疏越清廟歌  朱弦 疏越 清廟の歌
  一彈一唱再三歎  一彈 一唱 再三歎じ
  曲澹節稀聲不多  曲は澹(あは)く節は稀に聲多からず
  融融曳曳召元氣  融融 曳曳 元氣を召き
  聽之不覺心平和  之を聽けば覺へず心平和なり
  人情重今多賤古  人情今を重んじ多くは古を賤しむ
  古琴有弦人不撫  古琴 弦有るも人撫せず
  更從趙璧藝成來  更に趙璧の藝成りてよりこの方
  二十五弦不如五  二十五弦は五に如かず

遠方の人よ、あなたは五弦を聞いて美しいというが、私が思うには、本物の音楽はこんなものではない、それはどのようなものかと言うと、朱色の弦でゆるやかな調子に乗せて清廟で歌われるものです(疏越:瑟の底の穴の数を減らして音をふるやかにしたことに基づく)

一彈一唱すれば再三嘆声があがり、曲は淡くリズムは緩やかで声も大きくないが、なごやかでのびのびとして心が平和になる(融融:なごやか、曳曳:のびのびとしたさま)

人情は今を重んじ昔を軽んずる、古い琴に絃が張られていても人は弾こうとはしない、その上趙璧が出現してからというもの、二十五弦の琴は五弦の琵琶にはかなわなくなった


五弦とは五弦の琵琶のことでインド起源のもの、それが唐に伝わって中国古来の琴を圧倒するようになった。この詞はそんな風潮を批判したものである。前段と中段で五弦の素晴らしさが強調された後、後段で中国本来の音楽の素晴らしさがうたわれるが、その素晴らしさにもかかわらず、人々は五弦を尊重して伝統の音楽を顧みないと嘆いて見せている。

なお、この詞の中の文句は日本人に愛され、謡曲経政の一節にも、次のような形で取り入れられている。

クセ「第一第二の絃は。索索として秋の風。松を払つて疎韻落つ。第三第四の絃は。冷々として夜の鶴の。子を思つて籠(こ)の内になく。鶏も心して。夜遊の別とゞめよ」






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