漢詩と中国文化 |
HOME|ブログ本館|東京を描く|水彩画|陶淵明|英文学|仏文学|西洋哲学 | 万葉集|プロフィール|BSS |
新豐折臂翁:白楽天を読む |
白楽天の新楽府から「其九 新豐の臂を折りし翁」(壺齋散人注) 新豐老翁八十八 新豐の老翁八十八 頭鬢眉須皆似雪 頭鬢眉須 皆雪に似たり 玄孫扶向店前行 玄孫扶けて店前に向かって行く 左臂憑肩右臂折 左臂は肩に憑り右臂は折れたり 問翁臂折來幾年 翁に問ふ臂折れてより幾年ぞ 兼問致折何因緣 兼ねて問ふ折るに致りしは何の因緣ぞと 新豊の老翁は年八十八、頭髪も眉毛も雪のように真っ白だ、玄孫に助けられて店前を行く、その左ひじは玄孫の肩にもたれ、右ひじは折れている、翁に問う、肘が折れてからどれくらい経つか、またどんな原因で折れたのかと 翁雲貫屬新豐縣 翁雲ふ 貫は新豐縣に屬し 生逢聖代無征戰 生れまては聖代に逢ひ征戰無し 慣聽梨園歌管聲 梨園歌管の聲を聽くに慣れ 不識旗槍與弓箭 旗槍と弓箭とを識らず 無何天寶大徴兵 何(いくばく)も無く天寶大いに兵を徴し 戶有三丁點一丁 戶に三丁有れば一丁を點ず 點得驅將何處去 點じ得れば驅って將て何處かへ去らしむ 五月萬里雲南行 五月萬里雲南に行く 翁が言うには、本籍は新豊県、生まれると聖代に会い戦争がなかった、そこで梨園歌管の聲を聞くのに慣れ、旗槍も弓箭も知らなかった ところがいくばくもなく天宝に徴兵が行なわれ、一戸に男子三人いれば一人は兵隊にとられた、兵隊にとられるとすぐにどこかへ派遣される、自分は雲南に行くことになった 聞道雲南有滬水 聞くならく雲南に滬水有り 椒花落時瘴煙起 椒花落つる時瘴煙起り 大軍徒涉水如湯 大軍徒涉すれば水は湯の如く 未過十人二三死 未だ過ぎずして十人のうち二三死すと 村南村北哭聲哀 村南村北 哭聲哀し 兒別爺娘夫別妻 兒は爺娘に別れ 夫は妻に別る 皆雲前後征蠻者 皆雲ふ 前後に蠻を征する者 千萬人行無一回 千萬人行きて一の回る無しと 聞くところによれば、雲南には滬水と言う川があって、椒花の落ちる頃には瘴煙が立ち込め、大軍がそこを渡ると水は湯のように熱く、渡り終えないうちに十人のうち二三は死ぬという(椒花落時:山椒の花が落ちるのは初夏の頃、瘴煙:毒ガスのようなもの) 村中泣き声が悲しく聞こえ、子は親に別れ、夫は妻に別れる、みんながいうには、この遠征に行く者のうち、千万人に一人も帰ることがないと 是時翁年二十四 是の時 翁 年二十四 兵部牒中有名字 兵部の牒中に名字有り 夜深不敢使人知 夜深くして敢へて人に知らしめず 偷將大石捶折臂 偷(ひそか)に大石を將て捶(たた)きて臂を折る 張弓簸旗俱不堪 弓を張り旗を簸(あ)ぐるに俱に堪へず 從茲始免征雲南 茲より始めて雲南に征くを免る 骨碎筋傷非不苦 骨碎け筋傷つくは苦しからざるに非ざれども 且圖揀退歸鄉土 且く圖る揀退せられて鄉土に歸るを この時に翁は二十四歳、徴兵帳の中に自分の名前があった、そこで寄る深く人目をしのび、秘かに大石で自分の腕を叩き折った 弓を張ることも旗を揚げることにも役立たず、雲南に出征することを免れた、骨が砕け筋肉が傷ついたのは苦しくないわけではないが、除隊になって故郷に帰ることが優先だ(揀退:選抜されて除隊になること) 此臂折來六十年 此の臂折れてより六十年 一肢雖廢一身全 一肢廢すると雖も一身全し 至今風雨陰寒夜 今に至るも風雨陰寒の夜は 直到天明痛不眠 直ちに天明に到るまで痛みて眠れず 痛不眠 終不悔 痛みて眠らざるも 終に悔ひず 且喜老身今獨在 且つ喜ぶ 老身の今獨り在るを 不然當時滬水頭 然らずんば 當時滬水の頭に 身死魂飛骨不收 身は死して魂飛び骨は收められず 應作雲南望鄉鬼 應に雲南望鄉の鬼と作(な)って 萬人塚上哭呦呦 萬人塚上 哭して呦呦たるべし この腕が折れてより六十年、腕は廃したが身は生き残った、今でも風雨が寒い夜は、夜明けまで痛くて眠れない 痛くて眠れなくとも悔いはしない、老身でまだ生きているのを喜ぶのみだ、でなければ滬水の頭で、一身は死んで魂は飛び去り骨は収められず、まさに雲南望鄉の鬼となって、無縁塚の上で悲しげに泣いていたことだろう(萬人塚:無縁塚、呦呦:泣き声の悲しげな様子) 老人言 老人言ふ 君聽取 君聽取せよ 君不聞開元宰相宋開府 君聞かずや 開元の宰相宋開府は 不賞邊功防黷武 邊功を賞せず 黷武を防ぐと 又不聞天寶宰相楊國忠 又聞かずや 天寶の宰相楊國忠は 欲求恩幸立邊功 恩幸を求めんと欲して邊功を立て 邊功未立生人怨 邊功未だ立たずして人の怨みを生ずと 請問新豐折臂翁 請ふ問へ新豐折臂の翁に 老人は言う、あなた方もよく聞きなされ、開元の宰相宋開府は、辺功を賞せず、武力を乱用しなかった、一方天宝の宰相相楊國忠は、恩幸を求めようとして功績にこだわり、功績が上がらないうちに人の恨みをかった、それ故良く聞きなされ、新豊の翁の言うことを(宋開府:開元時代の宰相、黷武:武力を乱用すること) 過酷な徴兵を逃れるために自分の腕をわざわざ折った男の話。腕を折って、そのおかげで今でも痛い思いをしているが、腕と引き換えにこの命は生き残った。腕は命には代えがたいと言って、人民がそのような行為をせずに済むようにするのが為政者の役割だ、と暗に仄めかしている。 |
HOME|白楽天|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009-2014 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |